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カテゴリ:豊田市(香嵐渓・小原・いなぶ)
徳川四天王・榊原康政の生誕の地、上野上村城址・別称上野城は、愛知県豊田市上郷町薮間にある平城。【上野城址案内板より】 応仁の頃(1467)伊勢貞親の被官であった戸田弾正左衛門宗光による築城と伝えられている。
城の周囲には、自然地形を利用した堀が巡り、南西に本丸、北東に二の丸が配されている。 宗光は文明7年(1475)に次男の家光を残して渥美郡大津に移り、田原城を築いて田原城主となった。その後、家光も程なくして田原に移っている。 明応2年(1493)上野城に在った阿部孫次郎は寺部の鈴木氏、挙母の中條氏、八草の那須氏、伊保の三宅氏等と連合して松平親忠と井田野(岡崎市)に戦い、敗れて松平氏に服属した。 そののち上野城には松平信定とその子・清定が在城した。清定は天文14年(1545)松平広忠と戦い、同年に降伏して桜井(安城市)に蟄居の身となり、代って、酒井忠尚が入城する。 しかし、永禄6年(1563)三河一向一揆が起こると忠尚は一揆方に味方したため、隣松寺に本陣を敷いた徳川家康によって攻められることになる。 永禄8年、一揆が鎮まって忠尚は駿河に逃れ、上野城は落城した。 落城後は家康により、上野七人衆と呼ばれる在番衆が置かれた。城山稲荷社の左右に上野城址と書かれた石碑がある。榊原康政生誕之地碑 徳川四天王の一人・榊原康政(1548-1606)は、榊原長政の第二子としてこの城にて生まれた。本丸跡地と思われるところには祠があるのみでした。 ビジネスホテル | QUOカード付きプラン | 日帰り・デイユース | 楽パック(交通+宿)| 高速バス | レンタカー | ディズニーホテル | いい湯だな♪温泉宿予約 | 民宿・ペンション | お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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