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田原城は、文明12年(1480)頃、戸田宗光が築城し、渥美半島を統合支配した。
戸田宗光は、長男の戸田憲光に田原城を任せ、二連木城(豊橋市)を築き移った。天文16年(1547)、田原城主・戸田康光のころ、今川義元の任を受け、松平竹千代(のちの徳川家康)を今川氏のもとへ人質として護送する際、寝返り、今川義元と敵対していた織田信長の父・信秀の元へ送ったため、怒りを買い、田原城は今川勢に占領され、田原戸田氏は滅亡した。天正18年(1590年)、小田原征伐の後、田原城は、吉田城主・池田輝政の支配下となり、池田輝政家臣・伊木清兵衛忠次が1万7000石城主となる。 慶長6年(1601)、戸田氏の支流・戸田尊次が関ヶ原の戦いのとき、丸岡城(福井県坂井市)攻略で功を立て、田原城に1万石で復帰した。 寛文4年(1664)、三宅康勝 が挙母城(豊田市)より1万2000石で移封、以来三宅家の居城として明治維新を迎えている。 大垣城初代藩主・戸田氏鉄も、田原戸田氏の遠縁にあたる。田原城は、周りを海に囲まれた堅固な城で湾の形が巴形になっていたところから、“巴江城”(はこう城)とも呼ばれていたそうです。 田原城址二ノ丸跡には白壁の城を模した田原市博物館があり、愛知県田原の歴史的文化財や、江戸後期の田原藩家老で洋学者としても有名な、渡辺崋山に関する資料を展示公開しています。 田原城跡:田原市田原町巴江11-1 田原市民俗資料館 田原市博物館に隣接し、田原城桜門の正面にあります。 江戸時代以降の庶民の暮らしを中心にした歴史・民俗・生活工芸資料が展示されています。 楽天トラベル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 03:32:20 PM
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