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カテゴリ:瀬戸/長久手/尾張旭
かつて長久手城(長湫城)のあったところは住宅地となり、小さな公園に、長久手城碑と説明板、観音堂と加藤忠景宅址の石柱が在りました。
長久手城は、前領主・斎藤氏の古城を修築し、長久手村を領有した加藤忠景(加藤太郎右衛門忠景)の居城です。 長久手城主・加藤忠景は、岩崎城主・丹羽氏次の姉婿でした。 小牧・長久手の戦いでは、加藤忠景の義弟・丹羽氏次は、この地に詳しいので、徳川家康の道案内をしていました。 岩崎城が留守になるので、留守中の城を長久手城主・加藤忠景が応援し、氏次の弟・丹羽氏重(16歳)と守っていました。 共に奮戦しましたが、秀吉方の池田恒興・元助親子、森長可の攻撃を受け、城兵三百名と共に倒れました。 この戦いで、長久手城は焼失し、荒れ果てたそうです。 長久手城址碑には、徳川義宣と書かれています。 戦後の尾張徳川宗家21代当主徳川義宣(1933-2005)のことで、20代当主の婿養子なので血縁ではありません。 徳川義宣氏は徳川美術館長をされていました。 荒れ果てた長久手城跡地に石票を建て慰め供養されたそうです。 『加藤太郎右衛門忠景宅址』と書かれています。地元の方から供養されています。 長久手城址の長久手観音堂。 長久手観音は長久手城主・加藤忠景の守り神でした。 長久手城址:長久手市城屋敷
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最終更新日
2021/10/21 01:09:12 PM
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