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カテゴリ:瀬戸/長久手/尾張旭
天正12年(1584)4月、小牧山で秀吉と対峙していた家康は、8日午後8時ごろ約9千の兵を卒いて小牧山を出発、岡崎奇襲戦を企てて先行する秀吉方の別部隊を追って、9日早朝色金山に兵を進めました。
家康はこの色金山上に金扇の馬標を立て、四方を望見して軍議をめぐらしました。 床机石(しょうぎいし) 今も残る山頂の巨石は、その時家康が腰掛けたという逸話にちなみ、床机石と呼ばれ崇められ親しまれてきました。 八幡社旧跡の石碑 家康が戦勝を祈願したと伝えられています。伴若狭守盛兼の墓碑 伴盛兼は近江の出身で、もとは織田信長に仕えたがのちに家康に仕えた。翌年の長久手合戦「仏ヶ根の戦い」で討死した(享年38歳)この墓碑は盛兼の弟の子孫によって、領地の遠州気賀方向に向けて建立された。馬泉水 家康が軍馬に水を飲ませた泉があったことから名付けられた。色金山展望台から見た御旗山 秀吉方武将・堀秀政が桧ヶ根に本陣を布いた、堀久太郎秀政本陣地も窺えます。 家康は戦局を見て、色金山から御旗山に陣地を移しました。 色金山歴史公園愛知県長久手市岩作色金37-1 ビジネスホテル | カップルステイ | 家族旅行 | ペットと泊まれる宿 | 東京ディズニーランドR | いい湯だな♪温泉宿 | 格安航空券 | 高速バス| 楽天市場 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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