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カテゴリ:瀬戸/長久手/尾張旭
小牧・長久手の戦いの白山林の戦いが、ここ本地ヶ原神社の地であったそうです。
本地ヶ原神社の前身は白山神社で、言い伝えの記述から白山林の戦いの地は、現在の緑町、長坂町、南・北本地ヶ原町、上の山町一帯の小高い丘や松林と言われているそうです。 本地ヶ原神社・兜神社の由来 白山林の戦いは、天正12年(1584)4月9日、羽柴秀吉と徳川家康が共に天下統一を狙い戦いました。豊臣方総大将・三好秀次は大軍を卒いて白山林で朝食中、家康と織田信雄の連合軍に急撃されて総崩れとなり、一説では数百人が討ち死にし秀次は配下の馬で逃げたと言われています。 兜神社は、白山林で戦った武将を祀り、「小牧・長久手の戦い」の歴史上の史跡となっています。 本地ヶ原神社の御由緒書きには、『御祭神は伊弉那美大神、天地創造の神でこの地に繁栄を導く神である』とあり、今から960年前に創建されたそうです。 寛文5年(1665年)に、旧藩主尾張徳川家により再興されたと書かれてあります。 再建当時を調べると、尾張徳川家は尾張藩2代藩主の時期ですから、徳川光友の再建です。 江戸幕府は第4代将軍徳川家綱の時期です。左から、兜神社、北野天満宮、黒石大明神と並んでいます。 本地ヶ原神社付近は住宅化が進み、ここに祠が集められたようです。天狗のかかと岩 尾張旭市の昔話です。 むかし、本地ヶ原神社一帯はうっそうと茂った「白山」と呼ばれる森でした。森には天狗が住んでいて、泣いてばかりいる子やイタズラする子に、「そんな子は天狗がさらっていくぞ~」と言っていたそう。ある日、白山の天狗は猿投山の天狗に急用があり、ここからはちょっと遠いので「エイッ!」と勢いよく飛んだら、石の上に踵がめり込んで、跡が残ったそう。 白山林で休憩中の羽柴秀次は、後方から家康方の水野忠重・丹羽氏次・大須賀康高、側面からは榊原康政隊の一斉攻撃に見舞われ、不意をつかれた秀次隊は潰滅状態となり、秀次自身も馬を失い、家臣の木下勘解由に馬を借りて逃走し、秀次隊は総崩れで長久手方面へ敗走しました。 境内にある奉納石柱に、『榊原』という名が刻まれていて気になりました。もしや、あの榊原氏の御子孫では?と。 ビジネスホテル | カップルステイ | 家族旅行 | ペットと泊まれる宿 | 東京ディズニーランドR | いい湯だな♪温泉宿 | 格安航空券 | 高速バス| 楽天市場 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 01:11:55 PM
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