|
テーマ:=愛知=(477)
カテゴリ:大府/東浦/東海/半田/知多
緒川城は、文明7年(1475年)に水野貞守が(緒川古城)築城し、賢正、清忠、忠政、信元と続きました。
天文2年(1533年)4代目水野忠政は、刈谷城を築城し、本拠地を緒川から刈谷に移しました。 忠政は、松平・今川氏に従い、娘(於大の方)を松平広忠に嫁がせ、於大の方は後の徳川家康を生みました。 忠政のあと信元が家督を継いだが、織田家に従ったため、於大は離縁されて戻され、3年後には阿久比の城主・久松俊勝と再婚しました。 信元は、佐久間信盛の戯言により武田氏内通を疑われ、信長から命を受けた家康に討たれました。 緒川城には一時期、佐久間信盛が入っていましたが、信元の弟水野忠守が復帰し、子の分長が継ぎました。 桶狭間の戦いの後、家康は今川家から独立し、織田家と同盟を結び、徳川家に母の於大を迎え入れて、母の再婚相手の俊勝と息子に松平姓を与えて家臣としました。 慶長11年(1606年)水野分長が新城1万石に移封となり、緒川城は廃城となりました。 知多郡東浦役場の裏手高台に、緒川城址(緒川新城)碑と東浦町役場敷地由緒之碑が移築されています。 東浦町役場:愛知県知多郡東浦町大字緒川字政所20番地 乾坤院総門として移築された緒川城(新城)正門は、唯一現存する建物です。 乾坤院は、緒川城初代城主水野貞守によって、水野家の菩提寺として建立された曹洞宗の寺院です。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 03:57:48 PM
コメント(0) | コメントを書く
[大府/東浦/東海/半田/知多] カテゴリの最新記事
|