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カテゴリ:名古屋(千種・北区・守山・名東・天白)
名古屋市千種区にある永弘院に、槍の名手と謳われた上野城主・下方左近将監貞清(1527~1606)の城址碑が2つあります。
城跡地は上野小学校となり、城址碑は下方貞清の菩提寺である永弘院に移されました。 上野城址碑の横には下方左近将監貞清と刻まれ、下方左近古城跡地と書かれた碑もあります。 下方貞清16歳のとき織田信秀に仕え、織田と今川義元・松平氏との領地争いが、岡崎城ちかくの小豆坂で起きた小豆坂の合戦では、今川軍多勢を突き返し「小豆坂の七本槍」の一人と称されました。 その後も、幾度となく一番槍をあげる武功をたて名をあげました。 下方貞清は、織田信秀・信長・信雄と織田家に仕え、関ヶ原の戦い後は松平忠吉(徳川家康の四男)に従い556石を得て、清洲城で亡くなりました。下方氏子孫は尾張徳川家に仕えました。 上野山永弘院 所在地:名古屋市千種区上野1丁目4-18 上野小学校 所在地:名古屋市千種区上野2丁目6-1
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最終更新日
2021/10/21 12:36:00 PM
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