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カテゴリ:瀬戸/長久手/尾張旭
渋川城城主についての伝承はなく、尾張旭市内に残る他の城址よりもやや小さいことから考察すると、渋川城は他の城館よりも古い時代のものと推測されます。
元禄12年(1699年)、春日井郡印場村庄屋彦助が残した文章のなかに、「そこには土塁を備えた屋敷があった」こと。 また館主が去ってからは、「直師夢想東軍流」略して東軍流の棒の手を伝えた修験者、塚本伝寿が堂守として住んでいたことが記載されています。 室町時代以降、この地方にも幾人かの武将が存在したことは、居住した城址が残っていることから明らかです。<案内板より> <案内板の写真より> 渋川城は北島公園の南側の、天神川との間にありました。城址あとは現在、北島公園に説明板があるのみです。 渋川城:尾張旭市印場元町3丁目12-12北島公園 楽天市場 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 01:14:05 PM
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