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カテゴリ:名古屋(千種・北区・守山・名東・天白)
如意山瑞應寺には、「南朝忠臣石黒重行之碑」や墓石の横に案内板があります。
越中国(富山)貴船城主石黒重之の子、石黒重行は父祖の志を次いで南朝に仕え足利氏と戦って敗れ、一時奥州に逃れた。明徳四年(1393)に妻方姓の長谷川重行と名乗ってこの地に住み、のちに斯波氏に仕え、味鋺・如意の領主となった。夢窓國師の徳を慕い、瑞竜寺(後、瑞応寺)の七堂伽藍を造営、晩年剃髪して宗円居士と改めた。墓はこの寺の墓地にある。 戦国時代に入り、瑞応寺は衰退の一途をたどっていたが、石黒重行の八代目、石黒重成は当山の荒廃を嘆き、田畑二町歩を寄進して、七堂伽藍を再建した。 石黒重成は、天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに、織田信雄・徳川家康連合軍に加わり、小牧より先陣を卒いて、旗を藤山に建て戦功をあげた。元和2年(1616年)78歳で亡くなり、瑞応寺の墓地に眠ります。説明版がありました。如意山瑞應寺南朝忠臣石黒重行之碑長谷川千代吉翁碑 瑞応寺所在地:愛知県名古屋市北区如意2-73 大井神社ご由緒書きにも石黒重行の名が見られます。 石黒大炊助藤原重行は、後醍醐天皇の皇子宗良親王を貴船城に迎え、建武の中興に功績のあった越中国余呉郷貴船城主石黒越中守藤原重之の子で、勤王の志を継ぎ度々兵を挙げたが、遂に越中国を去り、一時奥州へ移る。本殿は、重行の子石黒右馬頭藤原朝房が、嘉吉2年(1442)に再建する。 大井神社御祭神:罔象女命、速秋津彦命、速秋津姫命 相殿神:塩竈六所大明神 大井神社所在地:愛知県名古屋市北区如意2-1 楽天市場 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 12:37:32 PM
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