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カテゴリ:静岡(熱海伊東・伊豆・浜名湖)
井伊谷城(いいのやじょう)はこの地の領主である井伊氏が築いた山城です。井伊谷城 標高115mの丘陵に築かれた井伊氏の本拠地は、井伊谷城と麓にあった城館と、井伊谷城北東2kmにある三岳城が詰城として構成されていました。
まほろばの“井のクニ” まほろばとは、「素晴らしい場所 」「住みやすい場所」を意味する古語です。 奈良・平安時代の引佐町(いなさちょう)は、遠江国引佐郡い伊郷に行政区画された土地で、その郷名は現在の井伊谷(いいのや)という地名に受け継がれています。 説明板より。 井伊谷城跡住所:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷字城山(城山公園) 地名読み方難しいのね、引佐町(いなさちょう) 井伊谷(いいのや) 引佐協働センターの駐車場をお借りしました。 龍潭寺(りょうたんじ)隣にある井伊谷宮 (御祭神宗良親王) 南北朝の動乱期(1336~1392)には、後醍醐天皇の第四皇子・宗良親王を迎え南朝方の拠点としました。 戦国時代、この地の支配権を巡り、今川・武田・徳川の勢力争いで井伊氏は大きく翻弄されました。 とくに、永禄5年(1562)井伊直親が謀殺されたあとは適齢男子がなく、井伊氏は存亡の危機を迎えました。この時、城主と振舞ったのが女城主・直虎です。直虎は直親の子である虎松のちの井伊直政を徳川家康に引き合わせ、井伊氏再興の道を開きました。 楽天市場 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/04/23 10:16:53 AM
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