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カテゴリ:九州観光
天璋院(篤姫)は、天保六年1835年今和泉島津家の娘として現在の鹿児島で生まれました。島津斉彬の養女となり鶴丸城に入り、近海家の養女として、第十三代将軍徳川家定の御台所となる。わずか二年足らずで家定が没した後は、落飾して天璋院と号す。天璋院篤姫 その後、世の流れは討幕へと大きく傾いた。討幕軍の先頭に立っているのは実家の薩摩藩であり、その参謀は西郷隆盛であった。天璋院は苦しい立場の中、最後まで江戸城に留まり、徳川家の存続に力を尽くした。「私事一命ニかけ是非々御頼申候事ニ候」天璋院が、戊辰戦争の際、徳川家の存続を願い、官軍隊長に宛てた嘆願書の一節である。
幕末から明治にかけての激動の時代に、自分の信じる道を生き抜いた天璋院は、明治16年1883年没するまで、再び故郷鹿児島の地を踏むことはなかった。<篤姫館実行委員会> <篤姫館>は閉館。 2018年「西郷どん・大河ドラマ館」が開館。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/06/23 10:01:24 PM
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