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カテゴリ:九州観光
薩摩義士碑は、木曽・長良・揖斐川の治水工事で犠牲となった平田靭負(ひらた ゆきえ)らを祀って大正9年1920年に建てられました。
江戸時代の中頃、徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む濃尾平野西南部の住民を救うため、薩摩藩にお手伝い普請を命じました。薩摩藩士らは遠く離れた異郷の地で、厳しい幕府側の役人の監督と経験したことのない水の流れに苦しみながら、この地方の住民のため、多大の犠牲を払い、万難を排して工事を見事完成させました。 昭和13年(1938)平田靭負をはじめ工事中に亡くなった人々が治水神社(海津町油島)に祭られました。 宝暦5年工事は完成されたましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。 義士らの墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬されました。 薩摩義士の碑:鹿児島県鹿児島市城山町 治水神社:平田靱負正輔大人命:岐阜県海津市海津町油島 平田靭負の墓:海蔵寺:三重県桑名市北寺町10番地 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/06/24 04:10:12 PM
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