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カテゴリ:九州観光
中尾山(本妙寺山)の八合目、清正を葬る浄池廟の上手に屹立する。なにしろデカイ清正公
昭和10年(1935)本妙寺が清正の銅像を製作したそうです。 戦争末期、金属提出で撤去されたが再建された。 <熊本地震2016年4月16日> 最大震度7の本震が起きた際、直径約10センチの槍の先端部分約2mが折れ落ちてしまい、元の姿にとの要望が多く直されたそう。 清正が、「片鎌槍」と呼ばれる愛用のヤリを地面に突き、勇ましく立つ姿は、観光客・地元住民、皆から愛されているようです。見晴らし良く、上から熊本城周辺・阿蘇山を見ることが出来ました。 熊本城の加藤清正の子・2代目忠広は改易され加藤家は断絶しました。 代わり細川氏が熊本城に入り、以後廃藩置県まで細川家が藩主として存続した。 西南戦争の際、官軍の守る熊本城を攻め落とすことが出来なかった、 西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとじゃなか、清正公に負けたとでごわす。」と言ったという。それほど“せいしょこさん”と呼ばれて親しまれている加藤清正は偉大なのですね。本妙寺:熊本県熊本市西区花園4-13-1から、さらに500m程の坂道。階段は25段区切りの300段を上ったところに加藤清正公立像があります。 ◎銅像脇に数台停められる駐車場があります。←私はこちらでw 清正公立像:熊本県熊本市西区花園4丁目.本妙寺公園加藤清正公銅像は熊本市民会館の隣で熊本城を背にして守っています。 清正の後ろの坪井川の橋を渡ると行幸坂で熊本城へと続きます。 熊本県熊本市中央区花畑町2016年4月の熊本地震の熊本城被災から復興工事、二次災害にも遭いながら、現在も、「がんばるばい!」またゆっくり来たいから「がま出してくれはいよ」がんばってね。 楽天トラベル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/07/01 11:14:29 AM
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