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カテゴリ:九州観光
小倉城は関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興によって築城されました。
細川忠興の正室は、明智光秀の娘・玉子、通称細川ガラシャ。 ガラシャとの子・忠利に家督を譲り、忠興は中津城に隠居した。 熊本城2代目の加藤清正の子・忠広が改易され加藤家は断絶したので、代わり細川忠利が熊本城に転封。 明石城主・小笠原忠真が15万国にて小倉城主となり、以後小笠原氏が続く。小笠原忠真は、家康、信長のひ孫に当たる。 大坂夏の陣でも、徳川方として奮戦し家康からは「鬼孫」と称賛されたそう。左から宮本伊織、大羽蔵之助、小姓、小笠原忠真(中央)、小笠原因幡、二木甚右衛門、犬甘外記迎え虎(雄虎)と、送り虎(雌虎) 小倉城が焼失した慶応2年虎年に因み描かれた雌雄一対。5階展望から見る景色。 小倉城にはイス式階段昇降機が備わっています。 画像は漬物処・糠蔵(ぬかぐら)で買った長芋の糠漬けを切ったもの。 サッパリしてて香りも良くおいしかった。 小倉城城主・小笠原忠真公は、信州松本を統治していた事もあり、ぬか漬けを好んでいた。 糠蔵は「百年床」を使い、伝統的手法で糠漬けを作っているそうです。 百年床って凄いね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/07/06 06:28:40 PM
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