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カテゴリ:知立市/安城市/高浜/碧南
内藤魯一(ろいち)は弘化三年(1846)福島藩家老の長男として生まれました。
内藤家は代々福島の譜代大名・板倉氏に仕え、320石を受ける家老の家柄でした。 明治二年(1869)三河への転封を機に、藩政改革・士族授産などの諸施策を行いました。 その後、自由民権運動に目覚め、愛知県初の政治結社を創設しました。 板垣退助の片腕として自由党幹部となり、板垣遭難の際に危急を救ったことでも有名です。 また、県会議員では「万年議長」の異名を取り、衆議院議員としても活躍したが、明治四十四年(1911)死去。 板垣退助が暴漢に襲われた際に、騒ぎに気づいた内藤魯一が、暴漢の背後から仰向けに倒し、「板垣死すとも自由は死せず」と言った。 板垣は負傷して言葉は発せれない状態だったので、やはりあの有名な言葉は、内藤魯一から発せられたものという説が有力みたいです。本銅像は、内藤魯一邸宅跡地に建てられたものです。公民館前にあります。 知立猿渡公民館:愛知県知立市上重原町小針118番地6 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 02:21:35 PM
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