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カテゴリ:岐阜
平田靭負(ひらたゆきえ)が治水工事現場に向かった堤8キロを『平田靭負ロード』
堤に植えられた千本桜を『平田靭負桜』と命名して、宝暦治水の遺徳を偲ぶ地となっています。 毎年7月第1土曜日に、宝暦治水に感謝する式典があるそうです。 住みなれし里も今更名残にて 立ちぞわづらふ美濃の大牧 靭負辞世の和歌平田靭負翁銅像 (島津修久書) 平田靱負は、江戸時代中期の薩摩藩家老。宝暦3年の木曽三川分流工事の責任者。 島津修久氏とは、島津氏第32代当主で、照国神社宮司です。 宝暦治水とは、江戸時代の宝暦年間(1754年~1755年)、江戸幕命により薩摩藩が行った治水工事。 木曽川・長良川・揖斐川の三河川は洪水が多発していた。幕府の厳しい指揮監督の下、薩摩藩が資金を準備しながら、馴染みの無い環境の中で犠牲者も多く出しながらの治水工事だった。 海津市における宝暦治水顕彰~ 毎年7月第1土曜日に宝暦治水史蹟保存会が『平田靭負翁に感謝を捧げる会』を開催。鹿児島の薩摩義士碑 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/07/24 06:37:04 PM
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