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カテゴリ:岐阜
海津市歴史民族資料館 「貝塚と古墳」「輪中と低地の農業」「高須藩」を主要テーマとした資料館。
海津の高須藩は、尾張藩主・徳川光友の次男、松平義行が高須を領地とし、高須松平家は13代続きました。能舞台 十代藩主・松平義建の男子6人は総て有力大名となり一女は上杉家に嫁いだ。高須四兄弟 右から(次男)尾張・徳川慶勝、(五男)尾張・徳川茂徳、(七男)会津・松平容保、(八男)桑名・松平定敬松平容保 美濃高須藩主・松平義建の七男として生まれる。 12歳の時に会津松平家へ養子に。 松平容保はひたすら誠実実直で、藩主を敬愛する会津藩も、幕末の運命を共にしました。平田靭負 今から260年前、美濃・伊勢・尾張三州川の治水工事を、幕府が薩摩藩に命じました。 機械も車もない時代での河川堤防工事は、薩摩藩にとり、とてつもない労力と犠牲者と莫大な借金を残しました。 工事完成報告書を出した後、工事責任者の平田靭負は責任を取るため自刃しました。ヨハネス・デレーケ 明治6年淀川改修。明治19年(1886)木曽三川の改修工事図を完成。蛇籠 宝暦の治水工事で急な流れの岸や堤防の護岸工事に蛇籠に石を詰めて並べた。 明治の下流改修工事設計したデレーケは、オランダの技術機関紙に大変興味深く紹介したそうです。花嫁御寮さんが船で輿入り。どこへ。。。 資料館では海津の貝塚と古墳時代からの暮らしぶりが多数展示されています。金廻四間門樋 木曽三川上流の川底から巨大な木造樋門が発見されました。 扉の開閉でダムの役割をしていた。 昔の人の知恵と行動力にいたく感心しました。海津市歴史民族資料館:岐阜県海津市海津町萱野205-1 月曜休館 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/07/28 01:13:57 PM
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