被災地、宮城県七ヶ浜町は私の故郷です。
私の故郷である七ヶ浜町は、大地震と大津波で壊滅的な被害を受けました。 今でも信じられません。 11日の地震発生時に私は、ロンドンに居ました。ニュースを見て驚き直ぐに実家の母に電話しましたが、全く繋がらず、心配で堪らないままフライトをこなし、でも心の中では、絶対に私がフライト中に旦那が母と連絡を取っている筈だと信じていました。それなのに、旦那からは、『まだ連絡が取れない』と言われ、涙が溢れて止まりませんでした。直ぐNYからも母に電話をしましたが、やっぱり繋がらず、私がロンドンからNYへのフライト中、大勢のお友達が心配して、日本、NY、オレゴン州、カリフォルニア州、ネバダ州、ヒューストンからボイスメール&テキスト&メールが沢山入っていました。その上、既にヒューストンの友達が私の変わりに被災用伝言板に母へのメッセージを載してくれていました。私が、安否確認のダイヤルに何度掛けても繋がらないと言ったら、多くの友達が母の安否を心配して、一緒に電話を掛けてくれたり、一緒にインターネットで色んな情報を探してくれました。日本のお友達がやっと安否確認と電話で繋がって、伝言を残せたとの連絡を貰った時は、嬉しかったです。でも伝言を残せただけで、安否は確認出来ず、TVでは一日中目を覆いたくなるような悲惨な被災地の映像ばかりが報道され、もう心配で居ても立ってもいられず、直ぐにでも日本へ、母を探しに飛んで行きたかったです。でも、成田から七ヶ浜町への交通手段が無く、新潟経由、山形経由でどうにか行けないかサーチしている時に、『母を避難所で見たよ!』っと言う朗報が入ったのです。崩れるようにしゃがみ込み、号泣。もう嬉しくて泣きながら、母の安否を心配してくれていた友達に直ぐ電話&メールで連絡。地震発生から5日後の事でした。 実家の直ぐ目の前まで津波が押し寄せたそうですが、実家は危機一髪のところで無事だったそうです。5日間心配で心配で、眠れないし、食欲もないし、寝ないでずっと、TVとインターネットで安否確認、情報収集していたので、その日は久し振りに爆睡。その後もやっぱり直接母と話がしたい。元気な声を聞きたいという一心で母に電話をかけ続けていますが、未だに母には繋がりません。 母以外の人達とは連絡が取れ、直接電話で話せたのに・・・・早く母の声が聞きたいです。被災地には救援物資が全然届かない状況で、せっかく命からがら助かったというのに、救援物資が届かず、凍死や餓死してしまった人達のニュースを見ると、胸が張り裂けそうです。被災地の情報や、状況はTVとインターネットから得られるのですが、涙なくしては見られないニュースばかりで、気が滅入ります。今すぐにでも実家に飛んで帰りたいのですが、被災地では食料、燃料、救援物資が足りない中、ご近所の人達と家にある物を分け合って生活している状況下で、私が今実家に帰えっても私の分の水と食料が必要になるだけ、今、被災者に必要なのは、私のようなボランティアでは無く、食料と燃料などの支援物資だと思いヒューストンに留まっております。被災者の為に私が出切る事を一生懸命考え、直ぐに日本赤十字社に出来るだけの義援金を送金しました。もっともっと私に出切る事はある筈だと色んな人と話し合い、義援金活動をする事にしました。その第一弾として、3月19日土曜日にヒューストンの日本食料品店『大道』にて、ベイクセールをしました。大盛況に終わりました。 第二段は25日の金曜日、時間: 午前9時~午後3時まで場所: 1015 Coachlight dr Houston, TX 77077 沢山の方からの寄付の品々が集まっています。寄付できる物をお持ちの方は私まで連絡ください。お友達、ご近所などにこのガレージセールの事を宣伝して頂ければ嬉しいです。 第三弾は26日の土曜日、大道前にてのベイクセール時間:午前9時~午後3時まで場所:11146 Westheimer Rd Houston, TX 今回も、おにぎり(鮭、梅、おかか、混ぜご飯)、クッキー(色んな種類)、マフィン(色んな種類)を作る予定です。前回以上の品数で皆様のお越しをお待ちしております。この他にも有志で提供して頂いた品もあります。 売上金は全額、被災地へ寄付させて頂きます。他にも私に出来る事は沢山あると思います。 一日も早い被災地の復旧と復興を願い、$1でも多く義援金を集めるために、今一生懸命頑張っております。七ヶ浜町にライフラインが復旧したら、直ぐにでも飛んで帰ります。 頑張れ宮城!!! 頑張れ東北!!! 頑張れ日本!!!どうかどうか頑張って欲しい七ヶ浜町!!!!!! 必ず復興できると信じています。 私も微力ながら、その支援をしていきたいと思います。 お母さん、心配しています。早く元気な声を聞きたいです。