・今日の読賣新聞の朝刊に中原中也の詩集がフランス語に翻訳される、と云う記事があった。翻訳者は記事を読めばわかると思うのでここでは端折ることとする。中原中也は生前は散々な目に遭い、鬼籍に入ってしまった。そういえばある雑誌に中原中也の詩集の出版に奔走したひとりの男が居たとある。いろいろな出版社を廻り、キゼイ的出版で『在りし日の歌』はこの世に出た。翻訳者は翻訳することが仕事であるが、日の目を見ない詩人の作品を出版するには殊の外、骨の折れる仕事だったように思う。
更に当時の彼は装幀者として表紙のデザインから、検品の印までひとつづつ押すほどの丁寧な仕事を行ったと、ある人が当時を振り返って回想している。彼と詩人との目には見えない縁といったものを象徴するような仕事だったに違いない。その彼もまた鬼籍に入って早や30年近くになるのだが、今云えることだがその先見の明を持った眼には敵うものは無いと私自身はひそかに思っている。
彼を表すエピソードのひとつに、中原中也が「二兎を追うものは一兎も得ず」ということを言ったとき「一兎を追うのは誰でもするが、二兎を追うことこそが俺の本懐なのだ」と返答したと、彼自身の日記にはしるされていた。青山二郎は草葉の風にあたりながら「今頃わかったのか」とつぶやいているのだろう。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 22, 2004 09:39:24 PM
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る