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目指せ青年実業家!?人生を変えるギタリスト♪
目指せ青年実業家!ふとしたきっかけで人生が変わりつつあるギタリストの話。
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DEEP PURPLE ハードロックの代名詞、第2期ディープ・パープル
70年、新メンバーを迎えて初めてのアルバムは、1期サウンドの集大成とも言えるクラシック・オーケストラとの共演であった。
当時このアルバムは「ロック」と「クラシック」の融合を成功させたと世界中で絶賛された。
このあと大手のアトランティック・レコードへ移籍した彼らは、いよいよリッチーの構想通り、よりハードでヘヴィなサウンドへと変貌を遂げる。
その第1弾である70年発表のアルバム「イン・ロック」では、同じバンドとは思えないほどヘヴィなサウンドで、リッチーのパワフルなギターとギランのハイトーン・ヴォイスが冴え渡る。
このアルバムはみるみるうちに全英チャートを4位まで駆け上り、なんとトップ10に26週間もランクイン。
先行シングルだった「ブラック・ナイト」(アルバムには未収録だったが、後にイン・ロック~アニヴァーサリー・エディションに収録されている)も見事全英2位に輝いた。
この大成功で、ツェペリンと肩を並べる存在にまでのし上がった彼らは、以降リッチーがバンド内でのイニシアチブを取り、ハード路線をまっしぐらに突き進んでゆく。
同じ頃、イギリスではブラック・サバスも産声を上げ、そのサバスやツェッペリン、パープルらが生み出すハードとしか言いようのないロックは、いつしか「ハード・ロック」と呼ばれ、彼らの歩みと共に栄枯盛衰することになる。
2期パープルはその後も、アルバム「ファイアボール」(71年)が全英No.1、「マシン・ヘッド」(72年)が全米7位/全英1位と快調に大ヒットを飛ばし、72年ついに初来日を果たしている。
この時ライブ・レコーディングされた2枚組LP「ライブ・イン・ジャパン」は、彼らの真の実力を示す素晴らしい出来映えで、エキサイティングなステージの興奮をそのまま伝えるものであった。
このアルバムは、当初は日本だけでリリースされたが、あまりの反響に、後から「Made In Japan」として編集し直され世界リリースした。
また、シングル盤だけで出されていた「ブラック・ナイト」のライブ版も、「Made In Japan」がCD化された時に、他のアンコール曲とともにボーナス・トラックとして追加されていた。
そして、93年にはCD3枚組スペシャル・エディションとして、ついにこの時の来日公演の全貌が明らかになった。
だがこの後、2期パープルはメンバー間のトラブル(特にリッチーとギラン)により急激に失速。73年にはアルバム「紫の肖像」をリリースしたものの、同年の再来日公演を最後にギランとグローバーは脱退してしまう。
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