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テーマ:自分史(1)
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私の生まれた昭和40年は 高度成長期真っ只中。
東京オリンピックの次の年。 ビートルズ来日のひとつ前の年。 そんなふうに自分では認識しています。 私は4人兄弟の末っ子。上3人が姉。 一番近い姉でも10歳離れてますので、 待望の男子誕生として生まれたそうです。 私が生まれた時の、よく聞くエピソード。 産院で待っていた父が、 男子誕生の知らせを聞いて、いろんなところに 「おめでとうございます!男の子です!!」 と狂喜して電話したそうです。 自分の子が生まれたのに「おめでとうございます」はないだろう・・。 その頃の実家は総合洋品店を営んでおりまして、 肌着からスーツまで、ありとあらゆる洋品や日用雑貨を販売。 父が現金問屋からライトバンいっぱいに仕入れてきては 母が店に並べて接客して売る。 まだまだ物が足りない時代。大変繁盛していたそうです。 父は現在の二市にまたがるほどの土地を持った 荘園領主の次男だか三男だかの、超おぼっちゃっまだたようです。 太平洋戦争で将校を務め、シベリヤに長年抑留され、 やっとの思いで帰国したとき 農地改革により、 持っていた土地や財産がほとんどがなくなっていたのには さすがに青天の霹靂だったみたいですね。 そしてもともと理系の技術者だった父は、 帰国後日本電設にエンジニアとして就職し、 母と出会い、夫婦になり、娘3人にも恵まれ、 平穏に暮らしていたようですが、 ある日突然脱サラして、洋品店の経営を始めます。 理由は母の言葉。 「お店がやりたい。商売がしたい。」 母は江戸時代末期から続く商店の娘。 小さい頃からお店でお客さんを相手するのが大好きだったそうです。 さてそんな両親の元、高度成長期の忙しい時代に生まれた私は、 その頃は普通だったのですが 「お手伝いさん」に育てられました。 (続く)(^^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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