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「雇われない生き方」実践レポート

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August 6, 2004
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 [心こそ心迷わす心なれ心に心心許すな」  北条時頼



 この言葉を『再来 山本玄峰伝』で知った。


 山本玄峰師は「白隠禅師の再来」といわれた人物。

 
また、第二次世界大戦末期、誰よりも早く「無条件降伏」で連合国に負けることを最善の策として、敗戦時の総理大臣鈴木貫太郎に首相就任を促し、終戦の勅語にある「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」との文言や、「象徴天皇制」のあり方を総理に提言をなしたのも彼であるといわれている。
その悟りに至る修行は壮絶なものである。

 生まれてすぐに養子に出される。 籠に入れて捨てられているのをのちに養父になる人物が見つけ、酒を吹きかけると息を吹き返したという説もある。 裕福な養子先で大事に育てられ、10代で、飲む打つ買う、の放蕩に明け暮れた。

 結婚をして家督を譲り受けるものの、玄峰師自身によれば、若い頃の放蕩があだとなり、性病のために目を患い、視力を失った。

 

 離婚後、目が見えるようにとの願を立て、8度の四国八十八ヶ所の霊場めぐりを行う。 盲目、裸足での霊場参りを行う中、事実8度目の巡礼の途中、わずかに視力を取り戻す。そして、禅寺に入っての修行が始まる。



彼は学問もなく、目が見えるようになったといっても強い弱視であった。小僧たちに漢字の読み方を習い、夜、ただひとりひたすら座禅を組み、線香に火をたよりに読書にいそしんだ。

彼は後に禅宗妙心寺派の管長にまで登りつめ、「白隠禅師の再来」と言われるほどの人物になる。



 そんな師が、好んで語ったのが、この北条時頼の和歌である。

 まさに禅の奥義ではなかろうか? 自分に相対する強固な自我を鍛え上げる、セルフコントロールの極地といえるものであろう。

 

 今朝の新聞に、「戦後歴代総理の指南役」といわれた四元義隆氏の逝去が報じられていた。

この四元氏や血盟団事件の井上日召氏が師と仰ぎ、薫陶を受けたのもこの山本玄峰師である。



 「師」の系譜を辿る時、そこには言い知れぬエネルギーの奔流を感じる。
広島に原爆が落とされて59回目の夏、ふと目に付いた記事から。


  *四元義隆氏については別Weblog に書いた。







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最終更新日  August 7, 2004 12:06:33 AM
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