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カテゴリ:自分流生き方
『好きなことをして楽しく生きる』・・・こんな考え方若い頃にはなかったよな、50代男が話し合う機会があった。 中1の息子に聞いてみた。 「何をしているのが好きだ?」→「ゲーム」 「楽しいか?」 →「楽しい」 放っておけば1日中でも続けそうでちょっと怖い気がする。 「アリとキリギリス」の童話は聞かせてあったかな・・・^^; 高3の娘と進路について話した。 「どんなことがしたいの?」 →「それが自分でもわかんないんだよ・・だから悩んでる・・・」 目前のテーマに集中することを教えるべきか・・・ 娘の気持ちもわかるな・・・ 自分自身を振り返ってみると、学生を終えようとする時ですら、 もう少し・・あとわずかでいいからモラトリアム(執行猶予)がないものか・・・ と思ったことを覚えている。 ふと聖書の失楽園のこんな言葉を思い出した。 エデンの園で蛇にそそのかされ、イブが禁断の木の実をたべアダムにも与えてしまう。 神の戒めを守らなかった二人が、エデンの園を追放される時、神が二人に与えた言葉。 「わたしは、あなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。 それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう。」 更に人に言われた、 「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなとわたしが命じた木からとって食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。」 (旧約聖書 創世記 第3章より) 子を産むことを「苦しみ」とするか「喜び」とするか・・・ 働くことを「苦しみ」とするか「楽しみ」とするか・・・・ 同一行為が二つにとらえられてしまいます。 産むことにも、果実を得ることにも、神により根源的に苦しみが埋め込まれたと述べているのでしょうか・・・ そして、それを転換するには神ならざるもの、つまり「人」の力が不可欠であると聖書は述べているのでしょうか・・・ 『好きなことをして楽しく生きる』 こう考えると、この言葉・・・そう軽く口にする言葉でもなさそうに思えてきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
April 12, 2005 01:54:32 AM
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