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カテゴリ:新しい夫婦関係
結婚生活が始まると、なんと僕はPost-Marriage Blue(結婚後のMarriage Blue
:こんな言葉はないと思うが)になってしまった。夫婦別姓とか独立採算制とかとは全く別の次元で。 僕らの結婚式の主賓挨拶に「結婚とは異文化交流だ」という話があったが、まさにそれを痛感したのだ。ぼくらの場合、結婚する前に6年も付き合っていたので、お互いの価値観や考え方、そしてお互いへの接し方については十分に知り尽くしているつもりだった。でも1つ屋根の下で生活することは、全く違うことだった。 一緒に生活を始めると、お互いの育った習慣・価値観・言動(=文化)と異なることが妙に気になりだした。それがとても些細な事でも。 ・テレビを見ながら食事をするのが当然と思っていた僕に対して、それを許せないかみさん。 ・テレビを見る時のボリュームの大きさの違い。 ・朝食を食べる僕と食べないかみさん。 ・玄関灯は寝る前に消す僕と、一晩中点灯するかみさん。 ・こまめに掃除したいかみさんとある程度まとめて掃除したい僕。 ・僕が部屋やトイレの電気を消し忘れると、我慢ならないかみさん。 ・車を運転していて、道を間違いたり、一緒に散歩に出かけて、少しでも遠回りすると不機嫌になるかみさん。 ・仕事と余暇・趣味のバランス、価値観 など、細かいことを上げると切りがない。お互いの文化を受け入れるには時間が十分ではなかったのかもしれない。また、Marriage blueを引きずって結婚したかみさんにとって、僕のちょっとしたミスに“かちん”ときて、つい剣幕になってしまったのかもしれない。 しかし、そうこうしているうちに、今度は僕の方が結婚生活に息苦しさを感じてきた。僕にとって、たいしたことでない事でも、かみさんからブツクサ言われると不快感を覚えるようになっていた。結婚して3ヶ月もすると、“もう、限界”と思うようになった。かみさんの実家に行って“離婚させてください”と言おうと思ったくらいだ。 ちょうどゴールデンウィークが近づいてきたこともあり、とにかく“環境を変えたい”“気分を変えたい”という思いが強くなり、急遽、1人で旅行することにした。かみさんには内緒で、カナダでの2週間のホームステイを計画。予約が完了した4月中旬頃に「ゴールデンウィークはカナダに行くから」とかみさんに伝えた。あまりの急さに、かみさんはビックリした様子だった。 でも、このカナダへの2週間は、僕だけでなく、かみさんにも良い気分転換になったと思うし、お互いの存在をあらためて考える良い機会になったとも思う。旅行から帰ってきてからは、いままでのギクシャク感は徐々に減ってきて、歯車が少しずつ合い始めてきた。今は、お互い忙しいけど、本当に仲良く、楽しく生活している(と少なくとも僕は思っている)。 お互いの文化を尊重し合いながら、コミュニケーションを通して異文化を融合させ、新しい夫婦間の文化を築けるか否か。それが、結婚生活の成否の分かれ目なのかもしれない。僕らの場合は、結婚して8年目に突入しているが、確実に新しい文化が生まれ育ってきているように思っている。 -------------------------------------------------------------------------- インターネット調べた“文化”と“異文化コミュニケーション”の定義。多くは国と国の間で語られるけど、恋人間、夫婦間にも当てはまると思いませんか? ■文化の定義 「文化とは、ある集団のメンバーによって幾世代にも渡って獲得され蓄積された知識、経験、信念、価値観、態度、社会階層、宗教、役割、時間・空間関係、宇宙観、物質所有観といった諸相の集大成であると言えよう」 ■異文化コミュニケーションの定義 「異文化コミュニケーションとは、自分と相手の共生共栄と相互尊重のために行う情報交換、情報共有、共通の意味形成行為である。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 6, 2005 08:06:50 PM
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