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I'll Sleep When I'm Dead!

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2007.11.23
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カテゴリ:Travel
2日目の朝、6時ごろに目が覚めて3人で大浴場へ。朝は男湯と女湯が入れ替わるので、昨日の檜湯とかわって御影湯を利用した。

旅館の朝食は松山名物のじゃこ天などを使った料理にポンジュースが付く。

チェックアウト後、旅館に荷物を預けて道後温泉周辺を散策。散策の経路は

道後公園(湯築城跡:武家屋敷など)→放生園(坊ちゃんカラクリ時計)→椿の湯→道後温泉本館周囲→遊郭跡→宝厳寺→昼食(にぎたつ庵)→道後温泉本館内部見学→坊ちゃん列車→松山市駅→松山駅→神戸

といった具合。

道後公園:動物園だったこの公園から遺跡が出土したため、昭和63年から発掘調査が行われた結果、建武年間(1334年~1338年)に河野通盛が築いた湯築城跡だったことがわかった。公園内は749年~757年頃に造られた石の湯釜が奉られている(湯釜薬師)。湯釜とは、温泉の湯口のことで、道後温泉本館の浴槽の中心に備え付けられている。本館が出来てからこの湯釜は温泉の守護仏として奉られるようになった。

武家屋敷:一見公園の管理事務所かと思うほどひっそりと建っている武家屋敷の中は、16世紀頃に流行した連歌の場面や台所での作業の場面が人形を使って再現されている。その他、公園内には発掘された遺跡が柵で囲んであり、あまりにもさりげなく存在しているので、気をつけて歩かないと見逃してしまいそう。

放生園(カラクリ時計):明治時代に私用されていた湯釜や句碑が立っている場所。「~園」という名前には似つかわしくないほど、普通の街角だが、そこに坊ちゃんカラクリ時計がある。定刻と30分にカラクリ時計が動き出し、中からマドンナや坊ちゃん、赤シャツにうらなり君など、小説「坊ちゃん」の登場人物が出てくる。一番下の段には湯釜を中心とした浴場に浸かる人形も回っている。その前で記念撮影をするのだが、回りにはマドンナや当時の服装をしたおまわりさんなどが待機しており、私たちも二人のマドンナに囲まれて記念撮影。でもそのうちの一人は茶髪のマドンナだった。

記念撮影のときに写真を撮ってくださった70歳ぐらいの元気なご老人が、良かったら周辺を案内するという。聞けばボランティアのガイドさんだった。その好意に甘えることにし、こちらの時間を言って道後温泉周辺を案内してもらった。

白鷺伝説:まず案内してもらったのが放生園わきにある「鷺石」。道後温泉発見のきっかけは、足を痛めた白鷺が湯に足を入れて治療した後、元気に飛び立っていったという伝説があり、その時に白鷺が止まったとして、足跡が残る石が展示されている。

椿の湯:この地を訪れた聖徳太子が、咲き誇る椿の美しさを賞賛したという話からこの名前が付いた日帰り温泉施設。建物の外壁にはだまし絵が描かれており、なかなか面白い。椿の湯の横には聖徳太子碑が建っている。

道後温泉本館正面入り口:現在の出入り口になっているのは実は元々正面玄関ではなくて、横手のほうに昔の出入り口がある。今は締め切っているが、3つ戸があり、一つは男湯、一つは女湯、そして残る一つは武士と僧侶専用の入り口となっていた。本館は3階建てだが、身分によって風呂も分けられていたとのこと。

玉の石:道後温泉にまつわるもう一つの伝説が神話伝説。大国主命と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が出雲の国から伊予の国への旅の途中、少彦名命が急病に苦しんだ。大国主命が少彦名命を手のひらに乗せて温泉に浸したところ、少彦名命は元気を取り戻し、石の上で踊りだしたという。その少彦名命の小さな足跡が残っているという「玉の石」は、ひしゃくで水をかけると幸せになれるという。欲張って2回もかけてしまった。

又新殿御成門:道後温泉本館の裏に回ると、皇族専用の部屋とお風呂(又新殿)に続く入り口がある。今は皇族は私たちが泊まった「ふなや」にご宿泊とのことで、又新殿は使われていない。後で中を見学。

又新殿御成門に向かって左手を見ると、小高い丘の上に、名前を失念してしまったが、道後温泉の湯が全部集まるという施設があり、その丘の斜面に多数のパイプが走っている。そのパイプが各旅館につながっているのだという。

湯の大地蔵尊:高さ3.67mもあるお地蔵さんは、お地蔵さんというよりもちょっとした大仏さん。火除け地蔵として奉られている。その地蔵尊の前にししおどしのようなものがあり(水琴窟というらしい)、ガイドさんに言われて耳をあててみると、中から癒しの音がする。竹筒に水をかけると中から鈴のような、せせらぎのような、なんとも不思議な音。

遊郭:一遍上人の生誕地である宝厳寺は、道後温泉本館から坂を上り遊郭を通り抜けた上に位置している。この遊郭の入り口で「坊ちゃん」は団子を買って食べたのだが、小説の中でこの団子を食べたことが広まり、風紀を乱していると責められていた。現在は団子屋はなく、かわりに「スナック おそめ」や「BAR きぬ」の看板が。どんなホステスさんがいるのやら。

宝厳寺:遊郭を通り抜けてすぐに宝厳寺の境内。このことを正岡子規が歌った碑も残っている。

色里や
十歩はなれて
秋の風


ここでガイドさんから松山の方言講座があった。「坊ちゃん」の中に

「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込めた。「篦棒(べらぼう)め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕まえてなもした何だ。菜飯は田楽の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。

といったくだりがあるが、この「なもし」は70歳ぐらいのガイドさんのお母さんの時代まで。今はもう廃れてしまった方言らしい。

そのほか、時間があれば少し離れた石手寺という、四国八十八ヶ所めぐりの51番札所になっているところに行けたのだが、その後の予定もあったために断念。石手寺の由来だけ聞いた。いつの日にか訪ねてみよう。

その後、ガイドさんにお勧めの昼食処を聞いてみたところ、「大黒屋」というのを勧められたが、時間的に難しいため、当初予定していた「にきたつ庵」で昼食。その近くまで案内してもらい、ガイドさんと別れた。案内付きの散策に要した時間は1時間半ほど。短時間で盛りだくさんの案内により、旅がさらに充実したものになった。

昼食後、昨日「神の湯」にそそくさと入ることしか出来なかった道後温泉本館を再び訪れた。入浴しなければ250円で中を見学できる。

又新殿内部:皇族が道後温泉を訪れた際に利用した本館の一部。畳敷のトイレには輪島塗の便器。専用の風呂に警護者の部屋。刀が抜けないようになっている狭い階段など。三種の神器も展示されていて、レプリカの八咫鏡・草薙の剣・勾玉を見た。又新殿の内部は撮影禁止だったので、こちらで中の様子をどうぞ。

坊ちゃんの間:夏目漱石ゆかりの部屋は道後温泉本館の2Fにある。6畳間の角部屋。障子を開けると50センチほどのベランダ風になっており、一風呂浴びた後、お茶をのみながら涼んでいたに違いない。赤シャツやたぬき、やまあらしなど、「坊ちゃん」の登場人物のモデルになった松山中学の先生たちとの写真も展示されている。

坊ちゃん列車:最後の最後に坊ちゃん列車に乗車。本当にマッチ箱のような列車だが、内部は当時のものを再現しており、天井は板張り。ガタガタ、ゴロゴロと、隣に座ったTさんの話し声も聞こえないぐらいの音を立てて松山市駅に向かう。

帰りは来たときと同じ特急しおかぜで岡山へ。松山駅で、坊ちゃん団子、一六タルトなどの銘菓のばら売りをそれぞれ買い込み、帰るまで口が動いていた。窓からの風景はみかん畑。

一六タルト、甘ったるいものと思い込んでいたので土産には買わなかったのだが、食べてみると柚子の香りとあんの甘みが程よくマッチしていることを発見。

松山~道後温泉の旅、思ったよりも楽しく、そして色々と勉強になった。まだ見ていないところが残っている。ぜひまた行きたい!来月にでも行きたい!今度は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでから行こう。

道後温泉の旅2日目の写真をスライドショーでどうぞ♪

同僚の顔がバッチリ出てしまっているので、友人にのみ公開していますが、mixiで坊ちゃん列車の動画をUPしましたので、mixiをリンクされている方はぜひご覧くださいね♪





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最終更新日  2007.11.25 23:10:35
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