カテゴリ:暮らし
日曜日にある「我流 毛筆の会」のために、金曜と土曜の夜、墨を摺った。 酒豪A女史の「墨を摺る時、墨がとぶから新聞紙を敷いて・・」のアドバイスに従い、摺った、摺った、、摺った。 計6時間以上は摺った。。(--; 「趣味人」になる為には事前の苦行も必要なのだと、墨を摺りながら悟る世話係。 「墨を摺る」という単純作業は、正に「対・自覚」。 昨年、心に大きく受けた傷を今だ癒せぬ世話係。 「墨を摺る」という単純作業は、厭が応にも頭と心を「思考の世界」へと引きずり込んで行き、決して「無の境地」などには辿り着けない凡人の悲哀。 (だから単純作業はイヤなのよね・・)と思いながらも、手を止めることが出来ない。 それは「墨を摺って行かなければならない」という義務感と、考え始めるととめどなく広がる「思考」が、摺る墨が無くなるまで手を止めさせない、ある種の強迫観念と自己の心の脆弱さの表れか。。 などと苦悩を続ける世話係の隣りで、ニャンニャンは静かに墨を摺る世話係に付き合ってくれる。 「ありがとね、ニャンニャン♪」 そうかと思えば、「そんなのカンケーねぇし!」と、こちらの2匹は夏期、外に置いてあった蘭の鉢から床暖の暖かさに出てきた「ダンゴムシ」を挟んで臨戦態勢を取っているし。。 [↑のあたりにダンゴムシが・・] [Bさんの視線10cm先にダンゴムシ移動・・] [「パシッ!」っと一撃されるダンゴムシ(--;] [Bさん、ダンゴムシに飽きたらPさんへ・・] そんな平和な2匹の姿に、哲学や思惟ではない動物的、本能的な世界感を見せて貰う世話係。 「ありがとね、ポーさん、ビーさん♪」 結果、1本の墨から摺れた墨液は・・・ たったこれだけ・・・ これじゃあ、1文字か2文字分にしかならないじゃん。 世話係の「書」の修行、まだまだ始まったばかり。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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