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テーマ:マラソンに挑戦(5680)
カテゴリ:マラソンな日々
この大会、前身の東亜マラソンは植民地時代の1931年が第一回。過去の優勝者を見ると第3回大会にはベルリン五輪のマラソン種目で金メダルを取った孫基禎の名前がある。ソウル国際マラソンのスポンサーである東亜日報が孫基禎の金メダルを報道する際に胸の日の丸を塗りつぶしたため、発禁処分となったのは有名な話。 フルマラソンの大会になったのは東京五輪の1964年。日本人も何回か優勝しているが一番新しいのは2002年の藤田敦史。近年はアフリカ勢が強いのはいずこも同じ。 実際、この大会のエリートの部はケニア勢が1位から7位までを独占。優勝したエルベ選手のタイムは世界歴代8位の2時間5分37秒。4位までが6分台、7位までが7分台の高速レースであった。かつてバルセロナ五輪で金メダルを取った黄永祚などを輩出したマラソン強国であった韓国は今はその面影なく、国内トップ選手は16位に終わっている。 同じ首都で行われているという意味で東京マラソンと比較すると、 1.非常にマッチョな大会。女性ランナーが極端に少ない。 2.仮装しているランナーも少なく、「ミニーちゃんだ」と思ったら案の定日本人女性ランナーであった。 3.沿道の応援がさほど多くない。伝統の打楽器による鳴り物、踊りの応援は多かった。 4.エイドは5キロ毎の給水と3か所の給食(バナナとチョコパイ。干しブドウを配っていた給食所あり)とシンプル。韓国の女子中高生が元気よく渡してくれる。チョコパイは日本では最近余り見ないが、韓国では人気商品のようでコンビニに行くと2、3種ある。一つ食べてみたが、ちょっと大きすぎる感じ。 5.韓国人に大会の存在が余り知られていない。 何人かの韓国人の知り合いに「ソウル国際を走る」と言ったらそんな大会あるの?という反応。国内で一番大きな大会なので、市民マラソン自体が盛んでないと云うことだろう。実際、翌々日市内をジョギングしてみたが、一人のランナーともすれ違わなかった。 僕が走りだしたのは4年前のことでそれ以前の日本の大会は知らないが、おそらくブーム前の大会はこんなシンプルなものだったのではないかと想像する。日本がやはりマラソンブームにあることを改めて確認した。
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