マイギターの履歴?
なんとなぁく・・。振り返ってみると、最初のエレキギターって?と、、、昔懐かしく!たしか、中学1年の頃ロックと言うヤツに魅せられて?と言うより友人の影響ですね~。きっかけは、「バンドやろうぜ!」・・・こんなのり。それまでの自分には楽器と言えばハーモニカ、笛、太鼓・・・鼓笛隊(笑)がいっぱいいっぱい!音楽と言っても、村田先生(浪曲)、江利チエミ(ラ・クンパルシーター)、歌謡曲な感じと言えば、奥村チヨ、山本リンダ、ちあきなおみ・・・・んんん、懐かしくなってきましたね~。そして、若大将、寺内タケシ、クレージーも影響大だったりして(笑)邦楽ばかりですよね~。学校でエイゴを習い始めるまでって、そんなものなのでしょうが!天地真理あたりで、歌謡曲ともお別れの感じでしたが。。もとい、12~3歳の春からになるのかなぁ?結局は先輩のナマバンドの演奏にやられちゃった感じ!当時の夏祭りかなんかの、演奏/たしかベンチャーズ!英語の歌詞はチト難解すぎたのでしょうね。そんなこんな・・・世間はフォークブーム?揚水、拓郎、泉谷、かぐや姫、etc・・・・。バンド系はチューリップあたりのコピーを皆様やってたような?おっと、ギターでした!で、最初のエレキギターは”ロジェ/全音のレス・ポールモデルでした。(当時テスコやグヤトーンが主流でしたが、デザインがGSしてましてチョット苦手でした。)田舎の楽器店で見つけたそれは、子供にとっては憧れの的。'70年代初頭に、まして田舎では、ロック(ビートルズ)=不良・・・ 思えばよく買っていただけたものと、今更ながら親に感謝ですね~。アンプはたしか”TESCO”の20wの真空管タイプ(トランジスタはまだありませんでした・・・)それも、中古のお下がりでしたが、家では十分すぎ、、贅沢なものでしてたよん。ギターの事なんか全く無知な自分にとってデザインと、なによりチェリーサンバーストの色が衝撃的だったのを覚えてますね~。価格はたしか、¥28,000。デタッチャブルネック、本物がセットネックなんて知る訳ありませんもの。それでも当時としては大変高価なものだと思いました。・・・その半年後このギターはトップに亀裂が入りあえなく最後を迎えました。(1973カタログ)(レスポール)Rojie;ロジェ、 全音・モラレスの後を継いで、`72年ころから登場したブランド。E.Gt, Baのみばかりでなく、フォーク&ウェスタン・ギター、アンプ、ドラムそしてアクセサリーまで、トータルにシリーズ化された総合プロデュース製品として構成されていたのが特徴。当時のE.Gtにおける宣伝コピーには「人間工学によるシビアな設計に、手作りの味をプラス。新しい本格派ギター登場。」とあるくらいで、プライス的にもビギナーがからハイクラスまで幅の広い価格帯で臨んでいた。ラインナップは全コピーモデルで、レスポールが3機種、SG、ストラトが各1機種など。特にレスポール・コピーのRLー100はその完成度の高さから安定した人気を誇っていた。その後、新聞配達に勤しみ・・・”ノーキー”さんの影響で、フェルナンデスのテレキャスターを購入!¥70,000でした。その頃にはギターメーカーの事等を一生懸命お勉強でした。。型録いっぱい集めてスペックなんか丸暗記状態でしたね~(カタログを部屋の壁一面に貼ってたりして)。。フェルナンデスのロゴが本家フェンダーに似ていた事がキッカケかなぁ~。だって本物はたしか¥170,000くらいしてましたよ。。流行りはシィンライン!木目のトップが楽器って感じしてました。もっぱらベンチャーズしてましたが(笑)。。。その頃、皆様はすでにビートルズを卒業され、クラプトン、ベック、ページ、リッチーに・・・・。が、それらのコピーバンドを見ていても、ボーカルにやっぱり無理があった風で・・って言いますか英語ですしぃ~あんな高い声でませんしぃ~。。って事で、どうもなじみませんでした。 (14歳の頃?)Fernandes/フェルナンデス1969年、前身の斉藤楽器が設立。1972年に社名をフェルナンデスに変更。 当初はフェンダー、ギブソン、リッケンバッカー等のコピーモデルを製作していた。 フェンダー系はフェルナンデス、ギブソン系はバーニー(Burny)というブランド名で販売。コピーモデルの完成度があまりにも高く、ロゴも似ていたので本家フェンダー社からクレームが来た事もある。その後、本格的ロックに向き、グレコのエクスブローラー(エリック・クラブトン仕様)つまりテールエンドのとんがりをカットしたヤツです。たしか¥100,000。当時としては大変珍しいタイプでしたね。ピックアップにU-3000/ゴールドパーツでした。 (16歳の頃?)Greco/グレコ 神田商会1960年に設立された神田商会の自社ブランドである。設立初期には富士弦楽器製造やマツモク工業が行なっていた。1970年代においては日本NO.1のブランドであった。当時から高品質でしかも低価格、優秀すぎるコピーモデルは世界を驚かせた。フェンダー・ジャパンは正式にライセンス取得したグレコの元コピー部門が進化したものである。また、GZAは、偉大なるゼマティスのギター製作を、正式に受け継いだブランドである。さらにあのグレッチすら、同グループで生産を行っている。その技術の高さは、明らかに世界No.1であることに間違いはない。しかもすべて日本国内生産で低価格の伝統も受け継がれている。その後、もっとパッキングにつやが欲しくて、当時まだ出たばかりの”ナビゲーター”のストラト(ナチュラル)に・・・。高校卒業まで愛用でした。結構シャラシャラで特にエフェクターを使用すると(フランジャーあたり)良かったですね。。結構大きな会場でライブしてましたね~・・・懐かしいです♪ 17歳くらい?ESP Co.Ltd/ 株式会社イーエスピー1975年に日本にて設立。1981年にアメリカへ進出。1980年代のジャパニーズヘヴィメタルブームで躍進した。パーツの選定だけでなくボディ形状まで顧客が指定できるフルオーダーシステムがストラトキャスター、レスポールなどのトラディショナルな外観に飽き足らないユーザーに支持された。またプロミュージシャンとの契約に積極的で、シグネイチャーモデルを多数販売。ESPには複数のブランドがある。ナビゲーター:フェンダー、ギブソンのトラディショナルなモデルのコピーブランドLTD:ヘヴィメタル系の攻撃的なボディのギターブランドエドワーズ:ヴィジュアル系などのアーティストのオリジナルモデルの廉価版ブランドグラスルーツ:価格帯として最もコストパフォーマンスの高いブランドまた1990年に買収したアメリカのメーカー、「シェクター」ピックアップが有名なメーカー、「セイモアダンカン」ラウドネスの高崎晃ブランドの「キラーギターズ」も実質的に同グループである。って事でして、19の頃にはすべてが一旦リセットされ(貧乏学生でしたので)その後、こつこつと・・過去の歴史の本物を手にする事がなんとか出来ましたっ!現在は何本あるのか(笑)40本位までは数えてたのですが・・・。思えば、国産ギターブランドと一緒に歩んできていたのですね~・・・。