カテゴリ:私的考え・つぶやき
最近更新サボってました。
(といいつつ私は日々更新を自分に課してないからストレスにはならない) 私のブログを楽しみに待っている読者(旦那)からもせっつかれてます。 書きたいことは色々あったんだけど、うっかり消してしまったり、他にやることがあったりして日の目を見なくて。 書きかけのまま朝を向かえ、鮮度が落ちてしまってちょっと書きなおそう、ということをしたりしているうちに日がたつ。 体調はすこぶるよく、低調だからブログを書いてないって事ではないです。自分の中の消化不良でアウトプットできないとかでもなく。 あ、早寝早起き生活に戻ろうとしているからってのはあるかな。 何はともあれ久々の更新です。 (プロフィール写真も変えてみました ♪) :: 私はまだまだ扶養控除の範囲内の稼ぎですが、自分で仕事をしています。 (これから育てていくと自分で思っているので引け目はないけど) カラーセラピストとしての仕事と、子育て支援の仕事。 子育て支援については、現在未就園児二人の子育て中である私も多大な恩恵を受けているので、相互支援。 恩返し的な発想が多々あるし、子育て中の人たちに広く必要だと思えること。 色々な仲間と一緒に、グループやNPOとして活動をしているのですが、「子育て」という至極プライベートなものを、社会的な活動として捉えるいい経験にもなりました。 当事者である今、支援について考えるのは、スタンスがニュートラルになります。 専業主婦にありがちな、視野がどんどん狭くなってしまう危険性とは、距離が保てるようで私もありがたい。 それから、この部分では、「ボランタリーな要素」を学べていて、それもとっても意味が深い。 お金を稼ぐ、お給料をもらう、というのではなく、私に何かできることがあるかもしれない、という奉仕的な思いで支えられているもの。 しっかりと、対価を得られるように体力をつけていきたいね。 いいように善意を利用されないように。 と思ってみんなで活動している、ということはあるけれど、基本的には関わっている多くの人は、損得ではない。(損得ではない所からスタートしていることは間違いない) ビジネスと福祉はちょっと違うように、働くこと全てにそれが求められるわけではないけれど、長い人生を通して、資本主義的な損得ではないことに自分を奉げることができている、というのは私にとって、とてもとても大きなプラスだと思う。 カラーセラピーの仕事は、「子育て支援」に比べると「必要とする人」「必要とされるとき」は限られている。。と思う。 でも、私自身が「思いひとつ」でこのセラピーを学ぶことを選び、 (手に職的な発想の資格取得ではない。これをもっているから就職ってモンじゃないし、逆にクラス中なんども"コレがあるからって食べられるものではありません。とても難しいです、といわれる) 経験をつんで、自分ひとりで創っている最中の仕事なので、ひとつひとつに大きな喜びがあります。 海のものとも山のものともわからなかったことが、すこしづつ前進をしていっている、形を成してきている。 自分でいいと思っているセラピーを提供する場があることに喜びを感じたり、必要としてくれる人がいるのだ、と思えることにも喜びを感じる。 その後、オーラソーマを好きになってくれたりしたら、ますますうれしい。 そしてそして、「よかった」と思ってくれた人が、自分の周りの人たちにつたえていってくれたり、具体的にこうやって広げていってくれたりするのは本当に、じーんと涙が出ちゃうくらいうれしいことだ。 スピリチャルな意味でいくと、私の使命は「心」に関すること、だそうだ。 持つ力は「調和」とか「創造」。 オーラソーマを通して得られる様々なことは、本当に喜びに満ちていて、ワークショップの後、セッションの後、いつも私は「ありがとうございます」を空に放つ。 子ども達、だんな、近くに住む両親。 色々な形で協力をしてくれる人たち、そして、私の事、私の提供することを必要として来てくれる人たち。 働くことによって、そういう人たちへの感謝の気持ちが深くわくし、これを仕事とできていることにまた深い喜びを感じる。 会社勤めをしていた頃も、働くことは楽しいことで、常に色々なことに挑戦をしていたような感じでワクワクしたけれど、内容的に自分がやりたかったものではないし、大きな組織の大きな仕事は、一人ひとりが受け取る思いは小さいので、だんだんに息切れをしていった。 そんなときに妊娠。出産。子育て開始。 ここにいて、この先出世とかしたいか? なにかやりたいことはあるか? ここで得られるものはあるか?(深い意味で) そう思ったとき、答えは明白だった。 「子どもを預けてまで働く意味がわからない」とかよく専業主婦を選んだ理由としてきくフレーズだけど、私はそういうわけではなかった。 働く意味は、どんなことであれ、ある。 ただ、今自分がそこから得られるもの(対価としてのお給料や、体験や経験)よりも大切なものがあるってことだけだ。 こういう言葉でばっさりやっちゃう人って、色々なことに意味を見出せないのではなかろうかと心配になる。そういいつつ子育てや、自分自身の存在価値なんかにも。 私は、一時期行き詰っていた「働くことの意味」に喜びを見出したいと思った。 足並みをそろえたり、誰かと肩を並べるために、誰かの上に立つために、色々な武装をするのに疲れたのです。 理論武装とか、知識とか、資格とか。 そういうものではなく、自分の持っているもので、自分の内側から沸く思いを表現できる仕事をやりたい、と。 そういう思いを形にするには、会社勤めではなくフリーがいい。 逆に言うと、フリーなんていう安定性のない仕事は、そんな「思い」でもないとやってられないけどね。 先日のマコさんの日記「自分を定義するのは自分」には、私も深くうなずきました。 ちょうど専業主婦と働くことについて色々かんがえていて、4つ葉のブログにもこんな日記を書いたところだったし。 専業主婦であろうとなかろうと、NEETだろうと会社勤めだろうと、忘れちゃいけないのはこの「自分で自分を定義する」ってことなんだろうな。 そして、それがやりやすいのは、やはりフリーな立場の人たちだ。 (むしろそれをしないといけない・・・) 会社勤め人だった私&私の周りには、大きな企業に勤めている人が多かったので、自分で自分の仕事を創っている人に出会うことが少なかった。 (小さな会社はまた別なのかもしれないけど) でも、今自分がそうやって「自分を自分で定義する」世界に入り始めたら、そこから得られる豊かさにまいっております。 もともと「個人に関わる仕事がしたい」という想いが強かったので、だんなに「やっぱ一人ひとりに関わる仕事っていいよね。すごい満足感があるもん」といったら、 「それもそうかもしれないけど、でもきっと、本当に必要な人しか来ないから、ってのもあると思うよ。 わざわざ自分のお金を払って、選んできてくれる人しか来ない仕事だからじゃない?」 といわれました。 確かに。 会社のお金ではなく、自分のお金。 それを。会社とか業務とかためではなく、自分自身のために使う。 その重みは、違うよなあ~ お互いの姿勢が違います。 別にウチ(会社)は特に必要ってわけじゃないけど、オタク(の会社)は何ができんの?聞かせてみてよ。 なんていう斜めな姿勢じゃないから。 やりたいことを仕事にする、ということは本にもなっていますが、本当にやりたいことで食べていけたら、そんなにシアワセなことはないなあ。と、その種を見つけた私は本当にそう思います。 わたしは、自分ののぞむ喜びのために働きたい。 その種を、大きく育てて、自分の花を咲かせ、実りを収穫したい。 自分を知り、自分を定義し、自分を信じ、そこから喜びを得たい。 それは、専業主婦とか言うカテゴリーとは全然別の話だけれど、今専業主婦である人たちは、言い換えれば、自由な自己定義をやろうと思えばやりやすい人たちだ。 すごいリスキーに思えるけど、逆に自由。 収入を得ることを使命として担っていない人たちなので、自分の思いを追いかけやすい、とてもいいタイミング。でもあると思います。 (ここでまた、"専業主婦は気楽でいいわよね"と意地悪目線のコメントもらうと困っちゃいます。だって、無収入で狭い世界に突入してしまうかもというリスキーな選択をしてるんですよ。そんなに楽チンな立場でもないのでそれぐらい許してください・・・) 子育てをしながらでも、 子どもをフルタイムで預けなくても、 自分しだいでは何でもできる。 子育て期は、心がけ次第では自由のカタマリだと思う。 (タイミングは人それぞれですが) 過去からのしがらみがなくなり(ネガティブだと喪失感) 感性が柔軟になり(ネガティブだと価値観の崩壊) あいまの時間が沢山ある。(ネガティブだとまとまった自分の時間がない) ふとふとamigoさんの「ヒマはねえけどあい間はあるさ」という言葉に、私は実は目からうろこを落とした過去があります 笑。 そうだよ、あい間があったじゃ~んって。 あいまを喜びで満たすことが許される、贅沢な瞬間なので、子どもばっかり、だんなばっかりに向き合っていないで、あいまあいまに自分にしっかり向き合って、自分を喜ばせることをいっぱいしたいと思っています。 *ここでいっている「喜ばせること」は、決して甘やかすという表層的な喜びではありません。 自分の心に必要なものをみつけて、心に栄養を与えて、自分の核をしっかり育てるということです。 ただ甘やかすのでは、「専業主婦は責任もないし気楽でいいわよね」と思われても仕方ない・・・ そして、そのひとつが働くこと。 喜びのために、働こう。 ::: 実は私は、税金をしっかり納めて社会的に自立したいとは思っていません。でも、私がやりたいことをしっかりと形にしていって、その結果扶養を外れて私の仕事として成り立っていけばいいなあとは思っています。 専業主婦はしっかり自立すべき、とは思っていない。 だってそれは全ての人にいえることだから。 でもあえていうならば、専業主婦の人たちは、もっと自分の人生をしっかり見て、知る必要はあると思う。 一番いい扱いをされているといわれる「第3号」である私。 それがどういうことなのか。 たとえば、「医療費全額補助」はどういうことなのか。 (そんなことよりももっと他にあるんじゃないかとか) ~だから~できません。と軽々しく言っちゃえるのはどうかとか。 ~で困るから、何とかしてくださいとか。 ("何とか"ではなく~してくださいならわかる) 自分が色々なことを知らないこととか、知らないことすら気づけなくなるような、狭い世界に安住することは、人としての成長が止まってしまう。 専業主婦の自己実現。 みたいなトーンになることはあんまり好きじゃないし、あいまを趣味で埋めるってのはまた違う話。 あいまをその場その場でただ「埋める」のではなく、あいまを「つなげて」その先をしっかり見るっていうことはほんとに大事。 そういう感覚を大事にしたいし、それを自分で表現したいなあと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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