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~はればれといこう~ 子育てはハンディじゃなくキャリア!はたらくを創造しよう。☆cherryの日記。

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2007.04.19
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子育て支援、と呼ばれる業界に身をおき始めて数年。

産前産後の暮らしにかかわる部分は子育て支援グループamigoで、
地域、公益、といった視点ではNPO法人せたがや子育てネット
個人個人の資質やメンタル、スピリチャルな部分での
健やかさはカラーセラピーを使った個人事業レベルと
3つのレベルで活動をしていて、その形式も3年目。

だいぶ落ち着いて物事が見えるようになってきた。

そしてその分、ただ一生懸命にやっていてはいけないと
思うようにもなってきているし、何より次の世代、そして
そのまた次の世代、というものにもつながってきている。

産前産後の世界はだいたい半年から1年くらいで入れ替わって
いくので(再会もあるけどね)、
うっかりしていると、同じコトを淡々とやり続けていても、
受ける人たちが入れ替わっているので、コト足りたりもする。


継続は力なり。

でもあり、その同じコトを淡々と何年も続けられるということ
自体、とても難しいものであることもわかっているし

「ただ続けている」ことの裏には、積み重ねてきたものの重みがあり
同じことを淡々と続けているようにみえて、じつはしっかり発展を
しているってこともあるのだけど、
でもやはり、区切りや形を付けていかないといけないんだな、と
いうことは、外から求められることによって、あらためて実感する。

自分たちだけで完結する話ではなくなってきているのだな。
担うべき役割や、ミッションがあって、それを外側からも強く
求められてきたんだな。と、本当にヒシヒシ感じています。


そんなことを、心の中で思ってはいたものの、昨年末ごろからの
ここ数ヶ月でいろんな出来事を通して実感してて、杉山ゼミやら
で書くことを意識してからはなおさらです。

「がんばってるね、よかったよかった。でも無理のない範囲でね」と、
励まされながらすすんできた時代はすでに終わり、
仕事としてきっちりと見せていく時代に突入してた。

振り返れば
子どもがフルタイムで保育園に入ったことが大きなきっかけだったなー。

どんなに仕事として意識をしていたって、やはり子どもたちが日々
一緒にいることと、毎日毎日保育園で過ごしてくれるという安心できる
環境があることは、まったく違う。

私自身、試行錯誤をしながら今のキャリアを創ってきているので
(今もだけど)
そうやって、少しづつやっていくやり方は、肯定します。

共働きを前提にしたワークライフバランスは必要だと思うけど、男も女も
切れ目なく一生涯働き続ける、、。子どもは早い段階で安心して預けられる
環境を作り、自分は社会の一員としてしっかり貢献していく、
というようなバランスを全員に『是』とはしたくない。

それは人それぞれが選ぶ問題であり、どちらが正しいとかイイという問題
ではない。
家庭環境・地域環境などにも左右されるので、個人レベルで選べる問題でも
ないし。

わたしは
育児休業が2年、3年と長くなってきているこのご時勢なので、
わたしもこどもふたり分の育児休業、時短勤務が去年の春に
やっと終わって、復帰一年たってだいぶなれたのかなーっていう感じです。


で、毎日はたらくペースに頭とからだと環境が戻ってきたところで、
あらためて自分がどうしたいのかを考えたりしているわけです。


最近特に思っていたのは、「数値化できること」と「数値化は難しいけれど
確実に大切にすべきもの」をどうやったら両方明確に示せて、活かして
いけるのかなということ。

色々な会議や打ち合わせの場で「提示すること」を求められる機会が多く、
それはシゴトの上では当たり前のことではあるのだけど、なにかひと味
足りないような、このままではおかしくなりそうな、そんな危機感みたいな
ものがありました。

よりよいものにしていきたい、という思いはそれぞれにあるのだけど、
やり方はもっと本来幅広いものなんじゃないかとか。

シゴトでお世話になっている某部長さんにも、とある会議で
「うーん、感覚的にはみててわかるんだけど、それだけじゃちょっと
怖いっていうか、そのラインを超えるには、もう少しなにか
出てこないかなあ」というようなコトを言われ、
「そうなんだよね。それはわかりますが、でもそれはナンだろう」と、
その場にいた人みんなが「うーん」となったわけです。


たとえば、「グレーゾーン」といわれる人たちへのアプローチ。
グレーゾーンは、いったい何もって、グレーゾーンなのか。

検診を受けていたら「とりあえずOK」だけど、その中にも限りなく
グレーに近い人たちがいたり、ちょっとしたきっかけでグレーゾーンに
移動する。

日々のサロンとかで、そういった人たちにピンと来るアンテナは
ナンなのか。


「元気なお母さんたち」はほっといていいのか?


当事者から支援者に飛び越えてくる人たちは、どんな「ライン」を
越えてきているのか。どうしたらそれがひろがるのか。


居心地のよさ、ってのは必要不可欠だけど、それはどうすればつくれて
みんなが感じる居心地のよさは、なにで測れるのか。

当事者であるお母さんたちが必要とするプログラムはどんなものなのか。
ただし、それはただ楽しみで埋めるのではなく、方向性や意図をもって
意識に何らかの働きかけや、違う視点を持ち込む口実でもあるので、
そのバランスはどうとるか。


そもそもプログラムの「成功」とは何か。
参加者全員が同じように、実施者の意図を感じ、目標を達成することか。


個々の要素を細かく見ていって、それに対して仕組みを作っていくことは
もちろん大切だけど、
画龍点睛を欠くような事態になっていったら怖いなーと、思ってました。

今や世田谷に80箇所もある子育てサロンや(amigoはその第1号です)
杉並の子育て応援券の事業主や
創業・起業家。
大手企業。

いろいろな人たちが、「子育て支援」という領域に入ってきているし
それは喜ばしい側面はもちろんだけど、「形だけが出来ていってしまうこと」
の怖さを感じていたのかもしれません。

おこがましいことなのかもしれないけれど。

地域の中で「知る人ぞ知る」という草の根活動から一歩先に進むときが
来ているのだなーと、取材を受けたりしても実感するし。
(草の根は草の根でとても大事なことで、それを忘れちゃいけないが)

子育て支援という、ある意味未開拓の分野で何か大きなうねりが起きそう。
そんなことを感じながら、うねりに巻き込まれずに、自分たちがうねりを
おこしていきたい。

では、どうやってそれができるか。
というのがここ数ヶ月のテーマです。




自分がかかわるいろんな物事の、ダイナミズムが知りたい。

「木」という細かくしていった要素だけでなく、「森」という動的な構造もみたい。


いつもまつださんといっている「文化を創る」って、学術的にいうとどういう
文章になるのかな。研究されていることはないのかなー

と思って、ネットサーフィンをし続け、いろんなヒントが見つかりました。


おっ、これは・・・
と思うものは、子育て支援のサイトではなく、教育や経済の分野の
ことばが多かった。


「羅生門的アプローチ」と「工学的アプローチ」ということば。

羅生門的アプローチは、全体的(ホリスティック)。
工学的アプローチは、分析的・分子論的(atomistic)。

両方とも一般的目標を立てるとこまでは一緒だけど、工学的
アプローチは、ロジカルに目標達成の為のアプローチを考え、
より特殊的な行動目標を立て、学習方法や教授方法を検討し、
実施し、目標に対して評価する。

これこれ、よく求められること。

羅生門的アプローチはというと、
一般目標を立てた後は、「非行動的目標」を「より一般的にたてる」
という点が違う。


学びの経過も、工学的アプローチは、「過程」をたどることが重要だけど
羅生門的アプローチは「即興」を重要視する。


それから評価。

工学的アプローチでは、
目標に準拠した評価(goal-reference evaluation) を
一般的な評価枠組  (general schema)の中で実施するけど

羅生門的アプローチでは、
目標にとらわれない評価(goal-free evaluation)をさまざまな視点
(various perspectives) で行う。

目標なくして評価なしのアプローチではなく、主観性を重視するとう
羅生門的アプローチに、とても共感しました。

人には個性があり、偏りや価値観の違いがあることを大前提に、
さまざまな視点・立場からみた主観的な意見を常識的に記述して、
それを「事例」として共有化することによって、豊かさと無限的な
側面にスポットをあてる。

羅生門的アプローチでは、それぞれの主観に基づいていろいろな
選択がされるので、必然的にいいものだけが採用され、そうでないものは
淘汰されていくそうで、非常に創造的だとか。。

工学的アプローチ、羅生門的アプローチの両方でものごとを編んで
いかないといけないんだけど、物質世界では(笑)工学的な部分が
大きいので、羅生門的アプローチが強いと、へんに「職人」呼ばわり
されたりしそうだな。

有能な理論家とウデのたつ実践家ともいうけどね。
(あの人とあの人の顔が浮かぶわたし・・・)


それから、いまさらだけど、暗黙知と形式知。
amigoは口伝、といってますが(笑)これは、暗黙知の価値が大きい
からなのかもしれない。

ネットで見つけた一文はなるほど、って感じ。
================================
暗黙知を人に伝える場合には,メタファーが有効な場合がある.
仏教において,釈迦は深い思考の末真実を悟ったとされる.

そして,釈迦は自分の知識を人に伝えるのに,それが一般の人には余りに
難解であったがために,直接的には語らずメタファーを使って語った
そうである.

「真理・悟りの世界は比喩で語るしかない」という言い方をよくされる.
釈迦が直接その概念を口にできたとしても,言葉だけでは中々他の人の
知識にはならない.
言葉として文法的に理解できたとしても体感できないのである.

アインシュタインの言葉に「何かを学ぶためには,自分で体験する以上に
良い方法はない」というものがある
体験なくして知識を吸収することは困難である.知識を己のものとする為
には,体験によるフィードバックが必要になる.

そこで,メタファーを使い,その人との共通の他の体験に喩えることで,
知識の一部を伝えようとするのである.

これは,つまりこういうプロセスである,

釈迦の暗黙知 → 形式知 → 弟子の暗黙知

メタファーが形式知の役割を果たしている.

=============================
体験によるフィードバックは、つまり「羅生門的アプローチ」の
事例やレポートになるわけだ。


暗黙知を形式知にして、それをまたそれぞれの人の暗黙知にしていくこと。
ただ形式知になっていってしまうことを恐れずに、受け取り手それぞれの
中の暗黙知にしていくことを考えていけばいいのか。

それから、暗黙知と形式知をベースにした知的創造スパイラル。

暗黙知と形式知の2つを、個人・集団・組織の間で、相互に絶え間なく
変換・移転することができれば、その組織は有機的に発展のスパイラルに
突入できる。

自己組織性が高く、有機的なかかわり方、ネットワーク、組織づくりが目標です。



「やり続けていること」も、違う角度からみれば、ぐるぐるめぐっているの
ではなく、それが高みに上っていく上昇スパイラルになっているはずだ。



そして、それを自分たちだけの中にとどめるようなケチなことはせず、
周りに。

地域に、社会に、世代に、さまざまなところへ広げて生きたいな。

ちっぽけな私たちの中にあるものだけど、きっと広げていけるはずだ。








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Last updated  2007.04.20 07:23:25
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