カテゴリ:オーラソーマと子育て支援
わたしたちが「シゴト」としてやっていきたい子育て支援について。
会社をつくったこともあり、概念的なこととか考えたりもしてますが やっぱ自分にもみんなにも確認しておきたいことは、細かいレベルの 話ではなく、自分の仕事の質をどんなものにしておきたいか、ってこと。 以前、暗黙知と形式知の話、「羅生門的アプローチ」についてブログでも 触れましたが、その時の流れで、もう一つ「オープンソースなシゴト」のやり方 がしたいなあ、、と思っています。 いつだったっけ。 わが仲間のたえさんが、自分の役割やしごとについてこぼしていたときに 「たえさんは、リナックスみたいだからなあ・・・でも、だからこその価値 なんだよなあ・・」と思ったのでした。 Linuxはただのイメージ的な例ですが、 彼女が提供しているものは、「パッケージ」ではなく、核となるOS. しかも、それもがちがちのライセンス管理ではなく、その土地土地で つくっていくような。 惜しげなく出すことによって、それを高めてもらいたい。 そんな気前の良さというか、理念というか、、そんなものを彼女に 感じていたし、そこが彼女の良さであり強みなのだよなあと。 単にソフトをパッケージ化して売らないという。 (職人だから・・笑) でも、わたしたちがやりたいことって、そういうこと。 ただパッケージしてよそに届けていくのではなく、専門家だけでなく 地域に暮らす人たちの中にある知恵や体験も組み込んで、どんどん 発展をしていって、しまいにゃ有機的に育っていくような。 文化を創りたい、と思っているから そういう手法しかないんだけどね。 ただ文化を押し付けても、根付かない。 あとは、「Copy Left」みたいな感じ。 こういうの好きです。 自分たちの権利、知恵を保護していくのではなく、積極的に分かち合って 行くことによって、その価値を世界にゆだねて、育ててもらうわけですね。 (かといって、Copy Rightに反するものではない) ある情報を、「どうぞ利用してください」といいながらCopy Leftにすると、 それを受け取った人は自由に改変できるのだけど、そのあたらしく改変された ものも「CopyLeft」であり続けなければならない。 自由な引用・改変・再配布を許可するんだけど、代わりにそこから生まれた 派生物に対してもcopyleftに従うことを義務付ける思想。 (オリジナルで作った部分の著作権は保護される) 自由に使ってもらっていいけれど、それをけち臭く独り占めしたり 自分のもののように使わないでね。 それは、最初から共有すべき目的のものだから・・ というような。 全ての仕事にこれが出来るわけではないかもしれないけど、 オープンソースなシゴトがしたいなあ。 今読んでいる「フューチャリスト宣言」という対談の本を読んで あらためてそんなことを思いました。 未来志向の私なので、わたしも「フューチャリスト宣言」! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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