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今日仲間と色々私の回りに起きていることについて話す企画があった。
テーマとしては、心配事は実は不安要素ではないということ。 あたしは根がガサツなのか、あまり未来をオモイワズラウことはない。 予想はあくまでも予想で あたるかどうかわからない。 たとえ予想があたったとしても、それがネガティブなことであれば、あたったとしても現実にはなんの役にもたたない。 やっぱりね、といったところで何もうみださない。 たとえ100%の確率で失敗を予知する才能があったとしても、なにもいかせなければ何の意味もない。 やっぱりね あたしは分かってたよ、こうなることが とか言ったとこで、だったらなんとかできただろ!という問いの答えにもならない。 たとえ未来はわからなくとも、 信念を未来に実現させようと努力できる才能が欲しいと思う。 自分たちの行動が正しいかをきめるのはなんだ? 正しいかわからなくなった時は 言い訳を探さずに、ただやればいい。 理想や理念と同じくらい、 自分の感覚はだいじだ。 不安や懸念がはっきりみえているなら、対処すればいい。 結果がわからないなら、信念に基づいて行動すればいい。 失敗してがっかりしたところでそもそも、わかってて懸念を抱いていたのだから、だったら自分の見る目をしんじればいい。 うまくいかないのではと感じていたのだから。 たとえ先がよめなくても、これから学べばいい。 不安や懸念は、大事なものを教えてくれる大切なアンテナだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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