カテゴリ:子育て環境とシャカイ
今日は、世田谷区が主催する「子育てゼミ」に参加してきました。
主催は世田谷区は子ども部。いつもお世話になっております・・・ 次世代の子育て支援者養成塾 松田ゼミもぶりっじで開催してるし、杉山ゼミも参加したし、最近ゼミづいております。 このゼミが生まれた経緯には私も絡んでいるので、言いだしっぺってこともあり 参加してまいりましたが、なかなか面白かったです (物足りない部分もあったけれど) この子育てゼミは3回連続で実施されます。 ゼミ終了のゴールは、「世田谷子育て宣言」をつくること。 「みんなで子育てしやすい社会」とか「地域で子育て」とか いろいろ言うけれど、 実際自分達はここでどう暮らして、どんな子育てをしようか。 そんなことを、子育て中の母だけではなく、「子育て当事者」の 枠組みを、母子だけではなく「このまちにくらす人たち」に 広げて、それぞれが宣言できたらいいなあ、、、、というのが 始まりの趣旨でした。 ベビーカーでのお出かけの議論のときにも感じた「まちづくり」 「しゃかいづくり」としての子育て目線がないと、結局利害の 対立、世代間のギャップなどで終わってしまう、ということを どうしたら少なくしていけるのだろうか、、、ということを 考えていった流れででたのが「当事者」の枠ぐみを少しでも かえられるように、多様な立ち位置の人たちが参加して、 それぞれの「違い」を発見するのではなく「同じ」を発見し、 共通の課題としてとりくんでいけたらいいなあ、、、、 その手法として「ゼミ」ってのはいいのではないかな、、、、と いうことです。 結局、今回は開催までに時間が足りなかったこと、 まだまだ「地域で子育て」の当事者は「母子」「支援者」「行政」で あるのだなあ、、、という事実もあって、 集まった総勢20名ちょいは結局のところ、上記の3者でした。 (あとファシリテーターが関東学院大の土谷先生だから学識か。) 本当は、 母、父、祖父母世代、まちの人、学生、支援者、学識者、区の職員 事業者、企業、、、、etc などなど、いろいろな立場の人たちが集まって、 第一回目は「自分達の立場からの想い」を話して共有し、 第二回目は、ディベート形式などで、「それぞれの立場を入れ替えて」 語ることをやってみて、相手の立場を想像することに取り組み、 第三回目でいよいよ「さあ、自分はどう子育てにかかわろうか、どう このまちで暮らしていこうか」という話になる、、というのが 絵に描いた もち でございます。 ゆくゆくは、こういった形で毎年1度くらい「ゼミ」が実施できたら いいなあと思いながらも、そこにむけた第一歩を踏み出したわけです。 ゼミは2時間半。 初回のテーマは「子育てのたいへんさ」「現代社会でコソダテするたいへんさ」 の2つがテーマ。 それぞれについて、それぞれの立場から意見をだしていき、 最後にその中からグループに分かれて一つ「キーワード」を抜き出す、 という内容でした。 現役バリバリの0歳育児中のママもいれば 20年前に子育てをしていた方もいるし 子育て支援施設の中で直接支援を行っている人もいれば 主任児童委員さんもいるし 母たちだって、多種多様。 上がるテーマも超~~ ミクロな世界の叫びもあれば、 哲学的な大きなテーマもあり、 社会情勢や現代日本の病理的な話もあったり まあ、いろいろなスケールの話がでました。 わたしは土谷先生のアシスト気分もあって、ファシリテーターのサポートを 意識しつつ、思っていることを少しお話させてもらいました。 次回は、どうなっていくのかな。 == 参加しながら、その中で思ったこと。 中には威勢のいい発言もありましたが、全体的に落ち着いた空気で 終わったと思う。 だけど、正直もっと「立場」からの発言をやり取りしたかったなあ・・・ って思ったり。 明らかに「ネガティブな反応」や「なにかを閉じる音」(ココロ?)が 聞こえたとこもあったのに「大人的振る舞い」?の中で「それはそれ」 でもあたしは共感しない。みたいな落とし前がついちゃったような気が してね。 あえて対立した意見を引き出したりできたらよかったのかなあと、 思ったりもしました。 ゼミに限らないけれどこの手の話をするときは、参加者も以下のような ことに気を配ったら、いいゼミ、いいファシリテーションが生まれるな。 なんて風にかえる道すがら思ったことを忘れないように書いておきます。 ■意見を述べる基本 I Statement ミクシイでは書いたけど、こないだとあるメルマガで見た言葉。 主語を「私」にして、一人称で、自分のことのみを語る“I statement” で対話。自分の体験、感情、考えを、「自分だけのこと」と限定して 語るということです。 例えば、 「私がその立場ならこうする。なぜなら、私は、制度が○に 変わると、○になると思うから」 「私は賛成です。そうなれば、私の生活は○になると思う からです」 「私も、似たような場面に遭遇したことがあります。そのとき に私は○をしました」 これは“I statement”です。 ダメな例は、 「制度は○に変わった方がいいと、みんな思っていると思います。 きっと○に変われば、女性は皆、喜ぶと思います」 なぜダメか? 「みんな」のことは、あなたにはわからないからです。 他人のことや、想像を語るのではなく、「あなた」のことを 語ってください。自分のこと=事実に基づいた真実、を語る ことで、「知」と「体験」が後につづく人の選択肢になるのです。 (一部原文を手直しして引用しています) ============================= ■その発言は、何かを奪っていないか? 相手の尊厳、品位、自分の誇り、、、 ついひねた発言をしたり、相手を攻めたりしちゃうこともあるけれど、 それによって何かが失われないのか、想像するハナがきくといいな。 ■ゼロサムではない。 意見、議論、立場などの対立があったときに立ち返るべき視点。 「ゼロサムではない」ことも沢山あるということ。 ゼロサムについては、以前もブログで書いたことがあったと思うんだけど たまに思い出す言葉です ゲーム理論などで語られる言葉ですが 複数の人が相互に影響しあう状況の中で、全員の利得の総和が常にゼロに なること、またはその状況のことを言います(Wikipediaより) 誰かの損が、誰かの得になる。 プラスの人とマイナスの人が必ず出るということ。 こういった環境下では戦いは熾烈になっていき、相手を出し抜くことが すなわち勝利への道になるわけです 一方が勝てば、一方は負け。(もしくは痛みわけ?) 自分の正しさを知らしめるために、相手の間違いをあげつらう、とか そういうこともゼロサムな考え方よね。 間違いを認めたら負けとか そこが発展してくると 私も我慢したのだから、あなたも我慢するべきだ 的な「ずるい」みたいな視点になっちゃったり たとえば、介護保険みたいに、子育ても保険を導入することになったら 「自分は子どもがいないのに背負わされて、誰かの得のために損を する羽目になる」みたいな発想もそうでしょうか。 よのなかは、決してゼロサムじゃないと思うんだけどなー 仲良かった幼稚園児が、お受験によってライバルになってしまい 疎遠になる、、、というのもある意味ゼロサムだよね。 (合格者数には限りがあるが、最終的に得られるものは、 合格だけではない、と思えばゼロサムではないはず。) ゼロサムから抜け出すために必要なことは、 限られたパイの中で奪い合いをするのではなく、全体のパイを 広げていくこと。 プラスサムの考え方。 相手は、敵ではない。 という事実に気がつくこと。 複雑な影響をお互いに与え合うゼロサムなような印象の現代社会ですが もっと鷹揚に構えられたらいのにね。 これは、コミュニケーション力や創造性が必要なのかなー 最後に、コミュニケーションの極意??について書かれた書。 コーエン&ブラッドフォードが提唱している影響力の法則: 法則1:味方になると考える 法則2:目標を明確にする 法則3:相手の世界を理解する 法則4:カレンシー(通貨)を見つける 法則5:関係に配慮する 法則6:目的を見失わない まだ読んでないけど、最近興味のあるカテゴリであるリーダーシップ論や 組織論などにも関連する名著。じっくり今度読んでみよう・・・ 子育てゼミ、どこにいきつくのか、楽しみです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.31 00:02:31
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