カテゴリ:オーラソーマと子育て支援
色々前後して書いておりますが
毎月第一木曜日は、自宅を開放して開催している子育てサロン レインボーカフェです。 始めた頃はこんなだった 人たちをかたわらにおき、 こんなふうにのんびりやっていたんだけど サロンを立ち上げてもう3年半。 子どもたちももう5歳と4歳となり、小学生の母になることが かなり現実味を帯びてきています もはやリアルな当事者がやっているサロンじゃないよねー 知識も経験も増えた分、すれたとこもあるしねー(笑) でも 今は主催の私自身がほっとしておしゃべりを楽しむことができる 唯一の場になってきております。 母子で出かける場所も増え、センターのような大きなひろばも できてくると、わざわざ問い合わせをしないといけない個人宅での サロンの必要性なんてあんまりないかもなーと思い、実は何度も 辞めちゃおうかとおもったりしたこともあるんだけど、 月に1度のこの日が、なんとなーく必要だな、とおもうのです。 だーれもこない時間があったとしても、 きれいに片付いたお部屋で(フツーありえない。。。)のんびり お茶をしたり、本を読んだり。 お客さんが来たら、その人とのおしゃべりに専念できる。 サロンを立ち上げた頃は、そんなことは当たり前だったのに それが新鮮な今。 サロンは14時までなんだけど、そのあとの時間こそ、 一番話したいことが話せるんだよねー・・・ なんて、話したりして。 帰る人は帰り支度をし、 こどもが寝てしまったり、やっと落ち着いた人には、 「せっかくだからゆっくりしなよ。コーヒーでも飲む?」 と誘ったりして、「第二ラウンド」に突入をする。 サロンの間はハーブティ。 終わったら、コーヒー。ってのは、なんとなく私の中にある区切り。 ここからは、「お母さん」じゃなくて、「わたし」ではなそうね。 みたいな感じかな。 この「サロンのあと」のティータイムこそ、本当に話したいことが 話せるんだよね。不安なこと、怒っていること、あきらめちゃいそうな 想いとか、我慢とか。 ということは、やっぱどんなにそうじゃないように意識をしていても、 サロンは「社交の場」なんだってことを実感する。 社交でつながる友達からから日常の「仲間」、 ふらっとこれる「居場所」にできるのは、こういった時間の積み重ね なのかもしれないね。 あたしもそうだったな。 amigoのサロンが終わって、片づけをしながらうだうだと話したり、 だんだん暗くなってきて「電気をつける」までの時間を名残惜しく 楽しんだ日々が確かにあった。 こどもたちが寝ちゃって、すごくシンとした中で話した話題は ぜんぜんおぼえてないけど、あの時間、空気を思い出すよ。 「居場所があってうらやましいな」といってくれたNちゃん。 是非、復職までの間、ゆっくり遊びにきてね。 ぶりっじだって歓迎だよ。 社交の場、学びの場である「プログラム」ではなく、 ただそこにいておしゃべりをする「ノンプログラム」を味わえる ようになったら、そこが居場所になるのだと、 あらためておもった一日。 来る人が少ないからニーズがない。だからやる意味がない。 のではなく、 あの人に逢いたいな、あの時間でちょっとリセットしたいな、 実はずっと人に話してみたいとおもっていたこと、聞いてみようかな。 そんな風に選んできてもらえるサロンになろう。 疲れたサロンリーダーや、これからの支援者さんがふらりと きてくれるような、そんな場所になろう 復職した人が単身来てくれたりしてもうれしいよね きっと、サロンを管轄している私が苦手なあの方には 「そんなのはサロンといえない!親子が気軽に歩いて15分で行ける ところがサロンです!」なぁんていわれそうだけどさ、そんな サロンはいくつかあってもいいとおもうよ。 わざわざ、電車に乗って出かけたい。 近いから行くのではない場所がないと、ダメだよ。 時間、空間、仲間。 3つの「間」。 サンマの危機を救うのは、安近短(古っ)だけじゃないんだよ。 両方が必要。 レインボーカフェは、私自身にとって必要な居場所。 自分が必要だとおもい続ける限り続けようとおもえた、そんな一日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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