カテゴリ:私的考え・つぶやき
最近、わたしの一生のテーマは「はたらくこと」
特に「適材適所」だよなあと思ってます。 (「最近」は、ここでは5年くらいのくくり具合ですが) 私の中にある 「はたらく」「適材適所」は、等身大よりもちょっとだけ 背伸びしたイメージです。 今できることを、というよりも、 今はまだちょっとしんどいかもしれないけど、 でもやってみたいことに挑戦する、、みたいな。 でも、届かないところに無理して背伸びをするのではなく、 「伸び」をして、いままで縮こまっていたものが「スっ」と 伸びて、いままでよりも高いところに届くようになった・・・ というようなイメージです。 自分自身に対して猫背だったのが、すっとするとか、 自分自身に対してゆがんでいたのが、まっすぐになるとか、 腹を決めたら、丹田力がアップして、しゃんとするとか、 本来持っていたものが、発揮できるようになるだけ。 だいたいみんな、歳を重ねる間に、そんな風にして身体が 縮こまったりしちゃうんだよなーとか、 過小評価しすぎなんじゃないかなーとか (でもプライドは相当な標高とか。。笑) 特別な人じゃないと、やれない みたいな、そんなのがもったいないなーと思うのです。 みんな ふつうにできるから、とか思うのです。 ピアな仲間として、エンパワメントすることが多い 役割の私ですが、みんなを励まして、ナントカしてあげたい とかはあまり思ってなくて、もっと勝手に色々やる人が 増えてきたらいいなあ。 でも、その「勝手」が有機的につながっていって、 「適材適所」で補い合えたらいいなあ・・・ と思ったりしています。 私は、自分が特別「すごい」存在だとは思ってないけど、 ひとりひとりが特別な存在であるので、私ももちろん 特別な存在である、とは思っています。 私は、自分が「飛びぬけて優秀」だとは思ってないけど 私が得意なことはだいぶ見えてきたし、そこは「できる」と思っています。 いや、「できる」よりも「やりたい!」と思ってます。 だって、それ、得意だし好きだから。 あたし、それやるよ だって、得意だし、好きだから。 出し惜しみせず、全力投球できる。 だって、得意だし、好きだから。 それが、いっぱい増えてったらいいし、 それを増やすことを仕事にしていきたいなー。 自分という存在を発揮する喜びをしるための「場」 自分自身を発揮できる「場」を創る人になりたいと思っています。 (守る人は、ほかに出てくると思う) でも、なんでこう「はたらくこと」にこだわるのかなー。 私の成功体験の一つが、仕事だったから、ってのもあるけれど、 社会につながり社会の中で力を発揮し、対価を得ていくことは やっぱ人として必要な成長のプロセスだとおもってるんだけど 自分がボランタリーなことをしていることからもわかるように 「価値」は、ただのかみっきれだけのことではありません。 対価を得るということは、「お金をいただく」ということはもちろん、 それ以上に、 それにかかわった自分に価値を見出すこととか、 自分の体験をかけがえのないものにしていく、という 双方向性なかんじも必要だなと思います。 プライスレス、という言葉が好きなんだけど、 貨幣価値だけにとらわれずに、情緒的な価値も自分が大切にできるような そんな仕事がしたいなあ。 福祉ネットワークで「利益の追求よりもやりがいを」みたいに まとめられて、ちょっと不本意に思っていたりするのですが 結局のトコ、それはある意味正解かも。 年商とか、年収とか、そんな価値だけじゃはかれないもの。 でも、そこにある価値は、そこの場にいる人たちを見れば、 感覚的に感じられ、説得できるような、そう言う意味での 「プロ」のたたずまいのお仕事にあこがれます。 5年後何ができてるかなあ・・・ 5年後の私の仕事は、なんだろうなー 5年前に今の私がやっていることはぜんぜん想像してなかった。 だから、5年もあったらどんだけのことができるか、楽しみです! 背筋を伸ばして、おなかに集中して、胸を開いて すっと参りましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.29 22:16:47
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