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今日は久しぶりにいい天気で、夜は夜でぴッカリのまんまるお月さま。
満月の夜にお財布フリフリを実行しつつ、月光浴をする。 私の名前の中にある「望」は満月の意味もあり、なんとなく満月に 共感するわたし。仲間意識。笑 オリオンを左手にながめながらまんまるお月さまにまっすぐ手を伸ばし、 チャージしながら考えた。 よくきく言葉で大切さもわかっているのにしっくりこない言葉の私的 ベストワンは 手放す じゃないかと思う。 何かをあければはいる。それは分かる。 だけどなんかその行為がいやなんだよね。なぜだか。 自分の中の定義の問題だけど。 新しいものをつかむために手をあけるのではなく、新しいものにまっすぐ手をのばせば、自然にいらないものは手からこぼれていき、それによって選別と循環がおきているんだと思ってたりして、なんだか「まず手放す」のが気分的に嫌でしかたない。 あきらめたくないのでねー何事も。 執着ともいえるし、愛着ともいえます。 ☆ いま目の前のお月様はまんまる。 こうやっていっぱいに満ちているお月さまも、日によって形がかわる。 でもそれは 形が変わったり、なにかがなくなったのじゃなく、見えないだけ。 いつだってお月様はまんまるなのにね。 わたしも きっと手放すべきは形ある物事や組織じゃなく、それに関わる私の中に あるものなんだ。 私を通して見える世界が窮屈そうなんだとしたら、 手放せばいいのにとか、 ほかにもっとあるのにとか、 そんな風に思われるのならば、 それは物理的なモノやコトじゃなくて、私の「影」がそうみせているんだろうな。 そんなことを思った、満月の夜でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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