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来週から大学の授業がはじまる・・・(何回書いてんだ、私!) ので、
なんとなくあわてながらも、準備があまり進んでいない。 でも、水面下での準備は進んでいる、、気がする。 着々と、進行している。 今日は何をしたかというと ○ネットであれこれ 朝からお昼まではネットで色々な情報をひっかけました。 ほんとは授業の資料をつくろうとか、大学にいって準備をしよう とか思ったんだけど、結局家で作業。 主にことばあつめ。 情報収集じゃなく、私の中にある想いとか考えに似た表現や 表現者を探す。(ネットではどんどん出会えるのがスバラシイ) ツイッターから、いろんなとこに飛んだり。 今日は「カウ ワーキング」 というとこにたどりつき、 面白いなーと思ってたんだけど、 乳牛 + 働く・・・? なんだろう、、書いてあることみると、私の目指す働き方とか 似てるんだけど、 はじめてきいたなあ、、カウ ワーキング・・ ノマドとは違うのかな カウなんて、なんだか 牧歌的だなあ と思ってたら コ ワーキング ですよ! co-working! ああ、思いこみ。 私はノマドワークとかの働き方や 3rd Placeとかの場づくりにも興味があるし もっと知りたい、どんな人たちなんだろう、どこにあるんだろうな と、思ってたら、なんと経堂のパクチーハウスさんだった。 NPOの事務所とおんなじ経堂。 Pax Coworking という形で8月から運営しているようだ。 これは行ってみたい・・。 (だれか、一緒にいかない?) 佐谷さんがパクチーハウスをオープンしてほんとすぐの頃に お店にいってごあいさつしたことがあったけど、 あらためて会いたいと思う。 大学の授業に来てもらいたいなあ。 いずれにしてもあってみよう。 農大通り商店街のつてをたどってみようかな。 藪本さーん。 でも、どうしても「乳牛」が浮かんでしまう・・ 乳牛たちが草をはむように、 Pax Coworkingで語る・・・ しかし ネットみたいな広大な世界にキーワードを投げたら、 意外にも近くにあったりして。 自分の世界は、もっともっと広げられるんだろうな、しかも 身近な場所で、 と思いました。 ここではないどこかに行く必要、ないんだねえ。 それから、内田樹(うちだ たつる)さん。 『街場の教育論』には、大変お世話になっています。 ブログの中で就職活動について書かれてあるんだけど、 子育て支援の場、子育てによって離職した私たちのことに おきかえて、色々感じました。 ==ちょっと、引用します。 日本の人事システムについて (内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/2010/08/06_1028.php (中略) 私は茂木さんと同じく、新卒者を一斉に採用し、経歴の「穴」を許容しない という日本の企業の人事体質を不合理だと思う。 けれども、その第一の理由は、それだときわだって優秀な人材が採用できない からではない。 「きわだって優秀な人材」というのは(その語の定義からして)、企業の人事 戦略などとは無関係なところでそれぞれ個性的な仕方でその才能を発揮しうる 人たちである。 だから、正直言って、彼らのことなんかは「ほうっておいてもいい」のである。 問題は「きわだって優秀なわけではないが、育てようによっては、かなりいい ところまで行きそうな潜在能力をもった人たち」(若者たちのボリュームゾーン を形成する部分)を日本社会が構造的に「潰している」という事実の方である。 「支援すれば、大きく花咲く可能性」のある若者たちを「支援し、激励し、 国力の底上げをする」という事業に日本のエスタブリッシュメントはさっぱり 関心を示さない。 「可能性がある」という言い方をしたが、それは「支援したけれど、才能が さっぱり開花しなかった」というリスクを含んでいるということである。 正直に言うけれど、この「可能性ある若者への投資」の回収率は決して高くない。 少年少女のときに「オーラ」を帯びていた多くの人たちが、しばらくして会って みたら、「オーラ」を失っていたというケースを私たちは繰り返し見ている。 いつ、どうして、彼らがそのアドレッセンスの輝きを失ってしまったのか、理由 はわからない。 外的条件がそう強いたのか、彼らの中で何かが「死んだ」のか。 高い確率で、生来の才能は枯死する。 だから、「支援さえすれば、誰でも才能を開花させる」というのは経験的には 事実ではない。 けれども、それは「だったら支援する必要がない」ということではない。 若々しい才能は脆く、弱い。 恐怖によって、恫喝によって、不安によって、花開く前に失われてしまう。 だからこそ、それは守らなくてはならない。 いくら手立てを尽くしても守り切れはしないけれど、それでもできるかぎり 守らなくてはならない。 私は一教員としてそう思っている。 少年少女の開花可能性をもっとも傷つけるのは「自分の潜在可能性に対する懐疑」 である。そして、この懐疑は、査定され、格付けされ、「勝者には報酬を敗者には 処罰を」というセレクションにさらされているうちに、焦燥と不安を栄養分にして どんどん膨れ上がってゆく。 そういうことはやめてほしい、というのが教育の現場にいる一教師として私の願い である。 私はいまの雇用システムでは、「きわだって優秀な人間がそれにふさわしい格付け を得られない」ことよりも、「ふつうの子どもたちが絶えず査定にさらされること によって組織的に壊されている」ことの危険の方を重く見る。 正直言って、私は日本人がiPadを発明しなくても、YouTubeを発明しな くても、別に構わないし、それをとくに恥じる必要もないと思っている。 それより、ふつうの人たちが等身大の自尊感情を持って暮らせる社会を確保する ことの方が先決ではないかと思うのである。 ========= 長く引用しましたが、どうでしょうか。 私が、いま関わっているすべての仕事へのモチベーションも、ここにある、と 思って読み進めました。 「適材適所」が私のライフテーマだと、何回か書いていますが、 等身大の自尊感情を携えながら、心ある仕事を重ね、 自分の中に可能性を発見していく喜びを、みんなで共有したい。 そのためには、自分だけがそれを得ようとするのではなく、 それが育つ環境・土壌をつくりたい。 などなどふつふつわき上がる想い。 内田先生、ありがとうございます。再。 そんな脱線みたいな、本流につながるような時間を過ごした あとは、タヒチアンダンスレッスン♪ 週に一度のお楽しみ。 先々週発表会を終え、今日から新しい始まり。 新しいパレオで気分新たに。 きっついベーシック、バレー部時代を思い出す。。 いい汗かく機会を確保できて、幸せ。 ほんとはもっとレッスン通いたいんだけど、今年は無理かなー その後は、来週から始まる授業に向けて、学校へ行ってみる。 どのくらいあわてないと授業に間に合わないのか、 やってみてわかった。 そんで、気分が徐々に落ち着いてきた。 オンオフ切り替えるのではなく、 毎日のリズムに、 働くことや、自由に思考をめぐらすことや、 踊ったり、おいしいもの食べたり、 本を読んだり、 資料作りにあわてたり、 山積みのToDoに、手帳にはった付箋が減らないことに 焦ってみたり、、 そんな風にいろんなものが編み込まれていくといいな、とおもう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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