五十三の次は六十九?
算数の問題ではない。旅の問題である。土曜日の朝、私と夫は三度この橋の上に立っていたのである。羽を持った麒麟像。1度目は、東海道を1人で始めた時、そして箱根から途中参加した夫の旅を、その箱根まで再び歩いて、完成させるために侍女と夫と出発点に立った2度目。3回目もまた橋の向こう側のスターバックスの外テーブルに、次女もコーヒーを飲みながら待っていた。今日からまた、旅が始まる。旅の起点は東海道と同じ日本橋、終点も同じ京都三条大橋。中山道六十九次、530km。東海道と30Kmぐらいしか違わないのに、宿場が16も多い。それだけ中山道の方が過酷だという事だろう。ざっと先達の記録を見ても、ルート上に立つための毎回の電車移動が、かなり困難なようだ。時には最寄の駅から中山道上に出るのに電車とバスを乗り継いでもまだ、かなり歩かないといけないところもあると書かれている。最大の難所は1,531mの和田峠だ。新幹線に乗れば朝、東海道線上に立てる五十三次の旅とはわけが違う。綿密な計画と慎重な行動が要求されるだろう。何しろ日本の屋根と言われる県を通過するのであるから。じゃあ、家に帰らないで途中全泊しながら、一気に京の都を目指したら?と言われる御仁がいらっしゃるだろうと思われるが、何しろ京から逆コースでお江戸を目指してお輿入れした和宮と同様、盗賊に襲われないように屈強なる護衛が必要なのだ。屈強?重いものを持たせると必ずぎっくり腰になる。自分では地図も万歩計も何の事前情報も持たないのに追分では必ず心のままに躊躇せずわたしより先に進む。神社仏閣、名所旧跡はすっ飛ばし旧街道の旅はハイキングと心得る。途中、地図を見ながら、旧街道は回り道が正しいと声を大にして叫べども、どうせ先で合流すると、私の声が聞こえないふりをして我が道を行く。蛇を目撃すると間違いなく私を置いて先に逃げる。悲しいかな、その屈強殿はいまだ現役の宮仕えなので、宿下がり(男にも使うのかえ?この言葉?)の時しか旅に出られないのである。東海道は途中父の看護と看取りが有ったが、約3年かかった。さてさて中山道は何年かかるのだろう。東海道の時、草津宿でお会いしたringoさん、草津宿は中山道も同じ場所。気長に待っていてね。前置きが非常に長くなったが、そんなこんなで、日本橋を出発して、日帰り中山道は荒川を超えて蕨宿の一歩手前で1回目は終了。本当は2日連続で歩きたかったのだが、お付きの侍女(次女)が足に豆が出来て歩けないとか、ぶーたれたので、次回に持越し。上は、中山道街道上、東京大学正門前にあるレストラン「山猫軒」。看板に書いてある文字の意味が分かった人は子供の頃の心をいまだに持ち続けているかと・・・。