中山道 信濃路の巻 和田宿
4週間ほど前の連休に中仙道を3日連続で歩いてきた。前回は碓氷峠を越え、軽井沢を通り、信濃路の塩名田宿で終わった。その5宿場先には中山道最大の難所と言われる標高1,600の和田峠が待ち構えている。東海道の鈴鹿越え以上で、電車もバスも近くを通らない。その上歩く道は車道とはかけ離れた山の中。交通手段が無い地域を22km以上歩き通す。もし越えられず山中で日暮れになれば遭難?そうなん?なんてしゃれを言ってる場合じゃない。そこで前回の終点塩名田宿から八幡宿、望月宿、芦田宿、長久保宿間を次回に残して、連続して歩ける連休に和田峠旅越え設定した。金曜日の夜、まずは最寄の駅である上田に新幹線で行って、宿泊。最寄りの駅?いや、そこがいちばん長久保宿からは近いのだが、バスは1日数本、長久保までバスで上田から約1時間、そして朝、9:05のバスしかない。上田駅前のタクシーで聞くとだ5,000円から8,000円と言われた。うーん、江戸の旅人にはきつい。早くに出発して出来るだけ和田峠の近くでその日を終え、明日につなげたい我らとしては、遅い時間の長久保宿スタートは辛いところが有るが仕方ない。地図9:05のバスに乗って、長久保宿でバスを降りる。宿場見学は次回に回し、(しかし次回ここで終わって日暮れになったら、どうやって上田駅まで帰るんだろう)すぐにスタート。10時を回っている。田んぼの中を歩き、藁ぶき屋根の市域循環バス(地域しか回らない)のバス停や、水筒に水を入れられる湧水や、昭和の面影を残した小さな中学校等を通り、ただひたすら和田の峠に向かって田園地帯を進んだ。熱中症にならないように水の補給に湧水はありがたい。和田宿は文久3年火事で全部消滅したけれど、皇女和宮の11月の輿入れのために急遽再建されたという言われ付きの宿場で、当時の脇本陣屋旅籠、昨年まで営業していた旅籠が良く残っていてなかなか趣が有る。そこで、旅籠の資料館など見学して小休憩。「おいおい、先を急ぐ旅人が見学などしていていいのか?」とは思うが。お昼は旧街道内のお店が休みで、仕方なく車の通る中山道まで往復20分出て、道の駅で食べた。無駄な時間、江戸の時代から現実に呼び戻されるつまらない時間。宿場を出ると一度車道と交差して、いよいよ和田峠に向かってどんどん登る。どんどん山に登って、日が暮れたらどうするの?と言う疑問が出るだろう。実はそのあたりに泊まれる宿が無いのである。去年まで営業していたという和田宿場内の旅籠は潰れてしまい、その日の出発点長久保宿近くの民宿しかやっていない。それでは現代の中山道の旅人は困る。何しろ夕方になってルートのどこで旅を終えても戻るバスも行くバスもないのだから。そこは良くしたもので、たった1軒、長久保分かれ道近くの民宿「みわ」のご主人が、泊り客のためにその日歩いて、ギブアップした地点がどこであれ迎えに来てくれるのだ。旧中山道和田越え、ほとんどゲームなのだ。私たちは事前に、携帯電波が入らなくなる最終地点の和田宿を越えて4km地点の唐沢バス停でのピックアップをお願いしておいた。和田を出る頃から日暮れまで歩けるか、足の調子が大丈夫か心配になりながら歩いた。何度も言うようだが今日出来るだけ歩いておいて、明日のために保険を掛けたい。そして3時頃、電波が入る少し手前で宿に電話する。「もう少し歩けそうなので、着いても電波が無いので連絡できませんが、少し先のバス停まで歩きますのでそこに4時にお願いします。」宿の奥さんが答えた。「もう一つ先最終バス停まですぐですから、そこで待っていてください」なるほど宿の方も女連れの旅では明日のために、出来るだけ峠に近い方が良いと見たか。その日、民宿に泊まったのは4組5人の旅人。それそれの地点でピックアップしてもらい夜集合した。暗くなって8時頃到着の旅人もいた。彼は和田宿でピックアップしてもらったようだ。でも最後の1時間か2時間は暗い中歩いたことになる。やはり明日を考えたか。食事をしながら、我らは互いに明日の情報交換をしたのであった。