桜狂い終り 一本の桜の名前
自分の撮った写真じゃない写真を使うのは好きじゃないが、それを使わないと話が進まないから使う。下の写真は次女がある日、ツイッターで揚げた1枚である。タクシーを飛ばして花見をし、撮った夕暮れ時の新宿御苑1,300本の桜の中の1本。これを見た時、なぜか心がきゅんと来てすぐにこの木に会いたいと思った。この桜の精が会いに来てと言っているように感じた。すでに都内の桜は散り急ぎ始めていた頃。写真を見た2日後、サクラタワーに泊まる前にスマホに入っている写真を手掛かりに新宿御苑のこの1本に会いに出かけた。キーワードは娘に教えられた、新宿門から入ることの1点だけ。そして送られてきた言葉「Good luck」の声援だけで1,300本の中から見つけるのである。御苑の中には芝生の開けた後ろにわずかな緑を横に従えたそれらしき木はたくさん有った。これかな、いや姿が違う。あれかな、いやバックが違う。そっちかな、いや木の重なりが違う。こっち?いや枝の張り方が違う。夫と2人で桜を探しながら美しい園内を彷徨った楽しいひと時。やがて、陽は西に傾き暗くなり始める頃、外国人の親子がフリスビーで遊ぶ開けた芝生のところで左方向をふと見るとどこか懐かしい桜。樹下で遊ぶ子供たちを抱くように、はらはらと散りながら、残り花を蓄えた桜の根元の木の様子に見覚えが有る。見つけた。私の今年の桜めぐりも終わった。きれいな桜をいっぱい見たけれど、桜に近づいてしまえば、皆その写真は同じ風景にしか撮れない。少し離れて1本の木を撮れば、それは後ろの風景や周りに写るものと相まって、それぞれの個性が見えてくる。来年も桜を見ることが出来たならば、今度は桜の精が潜んでいるような、たった1本離れて咲くような、長い間人々が慈しんで名前を付けた桜の写真を撮りに行こうか。