時間軸
先日、関西や九州、東京方面への転勤を繰り返す甥の東京方面に来た時は何時だけと考え込む事が有った。長い時間軸の繋がりの中で、順序が思い出せないことが有る。歳の所為かなあ。というわけで、時間軸の中に忘れて埋もれてしまわないように、先日、山の家から行った中山道を記して置く。山の家を朝、4時半に出て中央道をひた走ること3時間半、中津川駅前駐車場に車を置いて、電車に乗った。ここまで書くとちょっと前に同じ記述で始まる日記が有るから、デジャブに陥るが、あの時のコースは野尻から妻籠。今回は妻籠から馬籠宿を通過して中津川までのコースである。南木曽駅からのタクシーを妻籠宿の一番はずれで降りる。そして中山道に復帰してから山越えルートを今日のコースにと歩き始めた。「Youは何しに日本へ」のTV でやっているように、この区間の中山道を歩く外国人が一番多い区間である。歩き始めてすぐ、朝まだ早い靄の中の川沿いの朝露降りた草道を最初の外国人4人組とすれ違った。彼らが来た方は山の中の「間の宿」のような大妻籠の民宿群しかないので、たぶんそんなところに泊まったのだろう。「おはようございます」「konnichiwa」日本語で挨拶して互いにすり抜ける。山の中は時々石畳の道、へいこら言いながら400mの標高差を登る。朝早かったせいか、中山道一番のハイライトにしては外国人以外なかなか旅人とすれ違わない。あるいは御嶽山の風評被害だろうか。木曽だからなあ。例によってところどころで備えつけの大きな熊ベルを鳴らしながら歩いていくと山の中に一軒の茶店が有った。無料休憩所のようだ。中に入ると主人のほかに2人の夫婦がいた。「こんにちは」私が挨拶すると夫が「ハロー」と言った。「え、外国人?」改めて振り返ると年配の外国人が茶店のご主人にもてなされたお茶を飲んでいた。「こんにちは、どこから来ましたか」「オランダから」そしてお茶を飲みながらお喋りと互いの今来た道、行く手の情報交換。それはずっと中仙道を歩いて来て、今まで何人もの旅人としたのと変わらない。会話が英語だというだけの事だ。「熊ベルが有ったけどそちらは熊に会った?」なんて冗談で聞かれ。「熊には会わなかったけど会いたい?」と冗談で答える旅人同士の会話。「この茶店はお金を払うの?チップはいる?」と聞かれ。「ここは無料、チップもいらない」と英語を話さない茶店のご主人に代わって答える。3週間の日本旅行、軽井沢や松本城、能登にも行くんだって。このコースはどこで知ったのと聞くと、ガイドブックに古い日本と自然を体験できるコースだと書いてあるそうだ。この頃は京都・奈良だけでなく、こんな体験コースも人気らしい。わが身に置き換えればイギリスのコツウォルズやウェンチェルシーまでのハイキング楽しかったものね。「ここでおしゃべり出来て楽しかった」と言われ。「私たちも、この先の3週間の日本旅行楽しんでね」と言って別れた。わたし達は彼らがやってきた馬籠に向かって。彼らは私たちが今登って来た道を下りながら妻籠へ。馬籠に近づくとだんだん行き交う旅人が増えて来た。唐辛子や芋ずる、豆などが干してある農家の庭先にシュッシュと煙の出る煙突と吹かし釜。その横の笊には、「ふかしイモ100円」夫がちゃりんと瓶に100円玉を入れて、おいもを笊から取って2つに割って私にくれた。たどり着いた馬籠は坂の宿場。土産物屋や民芸品屋、馬籠の本陣の出である島崎藤村記念館など覗いたり、こんなものを食べたりしながら、どんどんどんと坂の街並みを下る。名物はすべて食さないと損な気持ち。中津川川上屋の栗きんとんの支店で一休み。トントンと一気に麓まで降りて、平らになった田んぼの道を進むと、「これより美濃路」と書かれた木曽路と美濃路の国境の標識が有った。長かった信濃路ともお別れ、ついに美濃に突入。冬に入ろうとしている。伊吹おろしは寒かろう。中山道の旅、春までお預けかなあ?