十三峠
ブログはサボっていても旅がらす、中山道の旅は一歩一歩京の都に向かって着実に進んでいる。今回は中津川から伏見宿まで3日間、いよいよ美濃路の旅である。今回から出発地までは東海道新幹線を使う。名古屋で乗り換えて中津川まで中央線特急しなの。中津川の駅で先ずしたこと。それは中津川名物栗きんとんを買うことだった。中津川にあるお菓子屋の中から8軒選んでそれぞれの栗きんとんを買い。道中食べ比べながら歩くのである。もちろん休憩の時ちゃんと座って食べるのであるけれど・・・。そして、食べ始める前に中山道上に「すや」を見つけて、さらに2個栗きんとんを買い足した。中津川の宿場を抜ける。中津川から大井宿(恵那)の宿場までは長閑な田舎道を歩く。右手に煙を吐く御嶽山。時々休んで、ベンチや石積みに腰かけて栗きんとんを味見する。しかし、原材料が栗と砂糖だけなんだから、どこもだいたい同じような味だ。食べ比べても良くわからない。ただただ栗きんとんの数をこなしていく。大井宿場内の400年の歴史を持つ「角屋」の離れでお昼を食べた。ちょおどお昼時に宿場の中にいるというのは歩き旅では意外と難しいことなのである。そして、それが歴史ある「角屋」というのがまたうれしい。今は料理旅館「いち川」と名は変わっているが、伝統は脈々と受け継がれている。離れ座敷で料理が準備できると、14代目女将、15代目女将、16代目女将が並んで挨拶した。たかがお昼の御膳なのに、こちらが恐縮。その日の宿泊は恵那のホテル。だがまだ時間は有る。明日は難所の十三峠だから、明日の分も稼いでおこうと、大井宿場を出てまた歩く。恵那の街を出てどんどん歩く。十三峠の入り口で2時ちょっと前。時間的には日暮れまでまだ十分有る。体力的にもまだ歩ける。けれどそこから先の十三峠はその名の通り登ったり降りたり、十三回ほど繰り返す山の中の道。そしてJRの線路からどんどん離れ、次の最寄駅は、今度は名鉄の御嵩駅まで交通手段は1日2本ぐらいのコミュニティバス敷かないのだ。それも、最終は2時半ぐらいで、その時、いくつかの峠を越えて山の中の小さな里山の村に着いていなければならないのだ。くだくだ書いたが、結局は山の中で日が暮れた時の恐ろしさを考えて、まだ高い太陽の下すごすごと宿のある恵那の街に引き返したのだった。翌朝はホテルで豪華な朝ごはんを食べてお腹いっぱいになったところで、昨日無念のリタイヤと相成った十三峠の入り口までタクシーで行き、十三峠に挑戦したのである。タクシーの運転手は言う。「中山道歩く人が、タクシー乗るの?」いいんだ。中山道上をきっちり歩けば。十三峠聞きしに勝る峠であった。標高800mを一気に登る和田峠に比べれば、標高は500mぐらいの所。しかし、低い山を登ったかと思えば下り山間の小さな里に出て、また山に入り、坂を登る。そしてまた下る。山の中には猪が群れを成して穴を掘った跡がたくさんあり、熊目撃情報の看板有り、挙句に道端のささやぶの中には、「罠が仕掛けてあります。注意」が有り、覗くと確かに猪か熊用の大きな金網の罠が有った。おお怖い。自然と速足になる。その日はいくつかの峠を越え、里山を過ぎ、17キロほど歩いて、大湫村でギブアップ。最終コミュニティバスのバス停まで走って、走って息も絶え絶えやっと最後のバスを捕まえた。最寄りの駅、JR 瑞浪駅まで30分。お客は夫と私だけ、運転手さんはおしゃべりのしっぱなし。途中お婆さんが乗って来ると、「久しぶりだね高橋さん」。病院の前で停車すると「先生こっちのバスだよ」だって。皆顔見知りらしい。翌日は瑞浪で電車を降り、タクシーで中山道に復帰する。小雨が降っていた。細久手からまた山の中の道を歩く。早朝、霧の中、誰もいない山道、熊の看板。かってないほどの速足で歩く。歩く。登っては下り、登っては下り、紅葉の中、石畳の道、竹藪の中。こんな道しるべも。どっちに行けばいいのよ。その日は20km歩いた。熊が怖くて飛ぶように歩いた。そして木曽川の見える濃尾平野の端にたどり着いたのである。美濃路はそこからはしばらく平らな道を進むはずである。次回は何時かな。名古屋で美濃中の羊羹を買って新幹線に乗った。