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カテゴリ:メモノート
水戸教公園に行ってきました。
久しぶりに櫓にも上がりました。 雰囲気のある好きな公園でした。 今は若い郵便配達員の溜まり場で隠れ場になっていました。 ====解説===== 新潟港は、1867 年(明治元年)に開港しましたが、水深が1mに満たない所もあり、良港とは言えませんでした。明治13年までに、新潟港に入港できた最大船舶は、111 トンで、投錨しても入港できずに引き返す船も続出しました。新潟港を水深が深く安全な港に修築することは、新潟町民の悲願となっていました。 新潟港を出入りする船の誘導は、江戸時代から「水戸教(みときょう)」と呼ばれる水先案内が行っていました。水戸とは、船の通る水路や港のことで、その水路や港を教えるという意味で、全国でも珍しい名称です。 この水戸教は、「伊藤仁太郎」家が代々世襲制で努めていました。水戸教は、河口近くに船見櫓を設け、水戸教船や船頭を配備し、水先案内の他、水路の水深を測ったり、曳き舟や給水、浚渫、遭難した船の海難救助まで行っていました。 明治3年(1870 年)3月、開港から2年後に県は、水戸教を廃止し、色を付けた樽を浮かべて航路標識にしました。しかしこの誘導方式は、うまくいかず7ヶ月後の10月に水戸教を復活させました。 その後県は、明治13年に公的事業にし、伊藤家の個人事業ではありましたが、水戸教は、昭和の初めまで200年間に渡り続きました。 今でも新潟市船見町に「水戸教公園」としてその名前が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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