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カテゴリ:エールを送ります
『人間のプライドが人間として、立たせていると思いますが、そこに毒素が加わるとがんじがらめに縛ってきて、苦しくなるのではないかと思います。
その毒素を流すのは涙ではないかと思います。』 この文章は2009年に私のブログに書いた言葉です。 私は今から45年前の今日、19歳の9月19日にクリスチャンになった時のことをブログに書いてあります。 お時間がある方は訪問ください。 http://plaza.rakuten.co.jp/nijimigoto/diary/200902060000/ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 宗教の話となるとあまり聞きたくないという人もあるでしょうから、 さらりと終わらせましょう。 でも、まあ ここまで付き合って来たので、読んでいって下さい。 太宰はキリスト教については詳しく調べ小説に書いています。 しかし、救いの対象にして、自ら飛び込んで行く事はありませんでした。 教会に行って驚いたことが、幾つかありました。 兄 姉と書いてあるし、お祈りでは、○○兄弟、○○姉妹と呼ぶので、 教会は兄弟だらけだと思いました。 イエスキリストはやたらと、私は、私は、と自己主張をする神だと思いました。 みんな手を組んでお祈りをしていますが、右手?左手?どっちが上? …等 教会に行って3週間後 忘れもしない、19歳の9月19日でした。 私は、牧師になる為に学んでいる神学生に個人的に祈ってもらいました。 「信じたいけれど、信じる事が出来ない」と訴えました。 納得するまで、答えにたどり着くまで、山に登って考え、長距離走って考え出し そうしていた私には、そう易々(やすやす)と信じることは出来ませんでした。 聖書も読みましたし、お話しも集会に毎回出席して聞きました。 でも、信じる事が出来ませんでした。 「信じたいけれど、飛び込めるほど、信じる事が出来ない」のです。 「これ以上人間の力ではどうすることも出来ないので、直接神様が働いて下さるようにお祈りしましょうね。」 と彼女はいいました。 薦められるままに、 「天のお父様、あなたが直接私に話し掛けて下さい。」 と祈りました。あら不思議!! ボーっと大きく顔が現れました。 ピエロのようでした。確かにピエロです。 そのピエロが棒の上を渡り始めました。 綱渡りの様に、空中に棒はありました。 棒は細いので、ピエロはすぐに落ちます。 ところが、下には落ちないで、棒につかまり、するするっと登って来て、叉歩き出します。 棒は細いので、叉、すぐに落ちます。 ところが、下には落ちないで、棒につかまり、するするっと登って来て、叉歩き出します。 何度も繰り返すのです。 まるで、1週間前、私がゴムボートのヘリにしっかりつかまっていたので、助かったように。(今思いました、あの時、海水を飲んでいたら、手を離して、波に流されていたら、私だけでなくみんなも生還できなかったかも知れない。) 私は思いました。 この人はなんて身軽なんだろう! 私はこの人のように身軽ではないので、這い上がってくる事は出来ない。 私には、肩に、いくつもの重荷があるので、この人のようにはなれない。 その時です。 そうか、イエスキリストなら、重荷を全て取って、軽くしてくれるかも知れない。 できそうだ。 と思ったその瞬間 ワンワン泣き出したのです。号泣 子どもの時泣きました。「もう泣かないの!」と叱られると、せっかく泣き止もうと思っていたのに、気持ちとは反して、反動で大きな声で泣いてしまうことみなさんありませんでしたか? (もう、泣き止もうと頑張っているのに、どうして、そう言うのよ、泣くのも苦しいのよ。) と思ったものですが、冷静な時 周りの大人たちに、かようなことを説明も出来ず、大人になると、子どもの時の気持ち、心情などを忘れて、子どもは、また辛い思いをするのですねぇ。 大人の方、子どもが過呼吸になるほど苦しがって泣いている時は、優しく責めずに待っていてあげて下さいね。・・・もっと激しい時はビニール袋が必要・・・ その時のように、ワンワン(これは犬ですね?)ワーワー泣きました。号泣 泣いている自分が、どうして泣いているのか、それも子どものときの様に激しく・・・ そこで、温かい涙を滝の様に(そう思いました)流しながら、 「どうして、私泣いてるの?!」 「どうして、私泣いてるの?!」 「どうして、私泣いてるの?!」 と神学生に激しく訴えました。過呼吸を跳ね返すかのように激しくです。 だって自分で予想だにしていなかったので、びっくりしたのです。 神学生も泣いていました。 「天のお父様が救ってくださったのね。お祈りしましょうね。」 私も、直接わかるように幻(まぼろし)を見せて下さったのだと思いました。 この幻は、今もはっきりと鮮やかに覚えています。 私の曾祖母は幻を見せられて、仙台から岩手に行って、お寺を再興しました。 そのお寺は、とてもりっぱで、昨年の夏 ご住職にお話を伺って来ました。 似るものですね。 詳しくはRAINBOW仙台のURLの近況をご覧下さい。 人間のプライドが人間として、立たせていると思いますが、そこに毒素が加わるとがんじがらめに縛ってきて、苦しくなるのではないかと思います。 その毒素を流すのは涙ではないかと思います。 話は脱線ついでに横にそれますが、rainbowは、リフレクソロジー他のライセンスを取得して自宅営業もしています。理念は「私を必要とする人が私のところにきて、私は、その方に健康と幸せのお手伝いが出来ますように。」です。 リフレクソロジーでは、足にさわって違和感があるところをデボジェットといいますが、私がそこにさわると、私があくびや、鼻水や、ゲップや涙が出ます。 「○○がお疲れでしたね、ここが痛くありませんか?」 と言うと、当たるようで、皆さん驚かれます。 終わると「軽くなった!」と喜ばれます。 そこにたまる毒素 こり が溶けて流されるといいなと思っています。 更に尿となって排出されるように、2日間、水分を沢山取るようにお願いしています。 そうすることにより、血液やリンパの流れが良くなるのではないか と思っています。 ここ数行の文責は誰にもありません。 Rainbowの独断偏見ですので、rainbowさんが言ったように・・・などと引用しないで下さいウィンク 「だれでも、疲れた人、重荷を負っている人は私のもとに来なさい。 あなたがたを休ませてあげよう。」 聖書のことば 「あなたは、私の目に、高価で尊い」 聖書のことば 忘れないように、19歳の9月19日でした。 この日から、太宰治だけでなく、イエスキリストが心に住みつくrainbow になりました。 勿論、死にたいと思うことは1回も無くなりました。 めでたし、めでたしで叉明日(あした)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.09.19 23:06:34
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