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2019.12.05
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「アパレル東京」のドラマNHKで放送しています。
私が48年前東京に住んでいた時も

東京に地震が来ると言われました。
私は人をかき分けて逃げる自分を想像して
怖いと思いました。

避難雪崩と言う言葉はその時はありませんでした。

実家の岩手の母に電話をしました。
「地震怖いからもう帰りたい」と言いました。

母は
「死ぬときは皆んな一緒であなただけではないんだから
保母の資格を取るまでは東京に居なさい。」と言いました。
https://plaza.rakuten.co.jp/nijimigoto/diary/200902230000/comment/write/#comment
その言葉に納得して夜学に通い続けた私でした。
卒業後も東京に3年保母として勤め
奨学金返済義務終了するまで計7年間東京におりました。

母は強く、母の一言は強いです。
弁論大会で皆んなをジャガイモと思いなさいと言って
1200名の高校生をジャガイモと思って弁論大会に
臨むことが出来たのも母のお陰でした。

2つの場面で即座に言い放った母はすごいなぁと
感謝しています。

母は
「死ぬ時はみんな一緒」と言ったのは、東京が大地震で
大火事など大惨事になってあなたが死ぬような目に遭ったとしても

一人だけではない、周りの人もおなじ様に死ぬのだから恐くは無いし
来るかどうかも分らない地震を心配して、思いを中断してしまわず
後少し東京で頑張りなさい。
という思いだったのです。

「死ぬ時はみんな一緒だからがんばらい」しか言わなかったと思いますが
私は母の言いたい事を瞬時に理解しました。
そして地震の過度の恐れは無くなりました。

当時私は友だちに
「うちの母ったらこういったの、継母みたいでしょ」などと話ましたが
本心はなんと気丈な母親だろうと自慢していたのでした。

末娘を東京に出すのに反対をしなかっただけでもありがたいと思っていましたから。

洗礼を受けて、「私の信仰は誰が何と言おうと本物」と
話した母は20年も前に天国に行きましたが
天国で再開出来ることを信じて楽しみにしています(#^.^#)





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最終更新日  2019.12.05 15:23:22
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