カテゴリ:社会
大相撲の大麻事件の時にも書いたけれど、人体に関するいかなる検査でも「クロを100%クロ、かつシロを100%シロ」と判定するものは存在しない。(片方だけ100%にするのは極めて簡単だがそれだけでは検査としての意味がない。)どんなに権威のある機関が検査しようが、どんなに科学が進歩しても同じこと。性能が良くなるだけである。
しかし何らかの判断はしなければならない。合理的に考えて十分に確率が高いと判断して疾患名を決断するのが「診断」。スポーツのドーピング規制制度というのは、「スポーツ界の秩序を維持するために、クロの確率が十分に高い選手を失格とするもの」。つまり、少ない確率でシロの選手をクロとすることを受け入れなければ成立たない制度である。 DNA検査の信用性に問題があったので裁判をやり直す、という事件があったけれど、そんな検査が絶対的に信用されたのだろうか? 科学的検査でも100%の判定はできないけれど、裁判では「状況証拠」とか「人の記憶(恐ろしく信用できない。)」とか「目撃者の証言(マジックショーを見れば明らかだが人の目なんて信用できない。)」なども考慮されるだろう。 科学的に表現するならば、刑事裁判とは「社会の秩序を維持するために、確率的にクロの可能性が高い人を罰する制度。」だと言える。当然、シロの人100%をシロと判断することは、永久に有り得ない。 カレー毒入り事件は、報道によると決定的な証拠がなかったようだが「専門家ならではの高度な判断で有罪」ということらしい。裁判員制度というのができたけれど、もし選ばれたら「素人に高度な判断はできないので、無条件に全部無罪判定します。」と宣言すれば除外してもらえるだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 4, 2009 12:51:52 PM
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