テーマ:囲碁全般(743)
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リクエストもあったので、AIの話。
AIがプロを凌駕して生じた変化の中で一番良かったと思う事は、碁は従来思われていた以上に手の評価は単純でなく、序盤~中盤では幅広い選択枝があることが分かったこと。気になることは、権威が単にプロからAIに移動してすべての評価の基準がAIになりそうな事。 竜生戦では最近、AIの評価を常に見せながらの解説になっているが、時には解説の大半が対局者がAIの推奨通りに打てているかどうかという視点になる事もある。権威を奪われながらも、「AIなんて碁じゃない!」とぶち上げる事なく強い者に敬意を払うプロの潔さにも感心する。
プロ棋士と話すことがあるたびに、AIについてどう思うか、AI時代のプロ棋士の存在価値はどこにあるかを聞いている。プロ棋士も相当に迷いがあったり、人によって姿勢に相当な違いがあることも分かった。 人の対局ならではのドラマを見せることに価値を置く人も多い。自分の打つ手に一貫性を持たせる物語りとしての碁が人間らしい碁と思うが、これは打たれる手だけでなく対局姿勢にも現れる。武宮先生や依田先生は、流れが良い時や会心の手を打つ時の、迫力あるしなるような手つきも魅力だ。一方いつでも置くように打つ芝野名人はまさにAI時代の申し子のように見える。 あるトップクラスの女性棋士の答えにはギクッとした。曰く「プロの価値は勝つこと。」。まさにストレート、一点の曇りなしの応答に圧倒され、「でもAIに勝てないでしょ。」との言葉は飲み込んでしまった。勝つことで収入を得る棋士にとって評価値が低い手をわざわざ打つのはナンセンスかも知れない。
ところで個人的には、AI以前から宮沢先生や西村修さんのような物語重視の打ち手に憧れている。ただ、自分自身は物語が目茶苦茶になることが多く、依田先生にも「その手には物語がない。」と指導された事もある。実は、私自身は「碁は何でもあり。」を示したくれたAIには大いに救われている。
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