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カテゴリ:イタリア生活
最近、遊びにいくようになったbotticinoさんのところで
読んだ日記、そのコメントがいろいろ気になってしまった。 外国人がイタリアに住む辛さはいろいろあるけれど、 その中で一番悲しいこと:一言に言うと、人種差別的問題です。 3年ちょっといる間、自分は幸運にも、そんな目にあったことはかなり少ないけれど 友人でそういう目にあいまくってショックで食事も喉に通らないとかあったし クエストゥーラ(滞在許可をもらう警察)では嫌というほど、そういう場面に出くわす。 私はイタリアが好きだし、家族・友人をはじめイタリア人でいい人もたくさん知ってるけど こういう話を聞いたり、場面を見ると、本当にQuel paeseに行ってくれ!という感じ。 botticinoさんのところでは、こういう場面に自分があった時の対処は? みたいな事があって、それについていろいろ意見の交換があったわけですが、 私もいろいろ思うけど、基本的にはbotticinoさんと同意見かな・・・ 理想というものがあって、皆それに向かっていると思うのだけど そこに向かう道はもちろんいっぱいあるし、人間は理性だけの生き物ではないから 相手にそういう態度をとられたらムカっとするのは当たり前だし そこで同じような態度をとりかえしてしまうのも当然だと思う。 本当はそれに対して、上品な言葉ですんごい嫌味とか言えたらサイコーなんやけどね。 大事なのは、それはその場限りのこと、そういう態度をとった相手にだけ 当てはまることで、それは自分がそういう馬鹿な人間になってはいけないと 思い直したり、考えたりする事ではないかなぁ・・・ 自分がそういう事をしたり思ったりした事はないかと考えてみると した事は自身では絶対にないと思うが、思った事は・・・ある。 ダンナの幼馴染がイスラム教に改宗したと聞いた時は正直、ちょっとひいた。 そして彼がモロッコでお見合いのような事をして結婚し、 私達に紹介したいと会う時も、正直、ちょっと怖かった。 でも、こんなご時世、こんな感情は差別でなく沸いて当然の感情と思うのですが・・・ 結局、彼女はベールをしっかりまとったイスラム!という人だけど本当にいい人で、 自分が会う前にもった気持ちについて申し訳なく思ったのでした。 私の結論としては(正直こういう話を深い考えるのは苦手) 国籍や宗教やその他のことで人をみたり自分を表現するのでなく、 あくまで個人のパーソナリティで人づきあいをしたいなぁ~と、 人生楽しくいこうや~と、もちろんそんな事ばかりではないのは百も承知ながらも そう思ってしまう私でした・・・って、楽天的すぎ!? ともかく、こんな事を考えないでいられる生活をしていきたいな~と願うばかり が・・・あと2ヶ月でまたクエストゥーラに行かないとアカンのやった・・・トホホ。 (去年2月(本編・旧日記参照)のような事態は、もうゴメンです) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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