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今日うちの母親に家を追い出された。
・・・って書くと非常に大げさなのだが、 「知人が家に来るからその間だけ家を空けて」 ということだ。 理由は言ってなかったが、おれにはわかる。 ようするに、32歳にも関わらず実家でニートやってる おれの存在を消したかったというわけだ。 やはり何人かおばさん達が集まる場では 息子・娘の話題が繰り広げられるのだろう。 ・・・困ったものだ。 そもそも母親は昔からそういうところがある。 自分は中学を卒業して 高専という工業系の専門学校に行ったのだが、 友人のほとんどが、県内1~2を争う 進学校に行ってしまったので、 母親からのおれに対する 風当たりは当時相当強かった。 (別に高専、悪い学校じゃないのに・・・) しかし、大学院受験にて 自分の脳味噌の出来じゃ決して有り得ないほどの 難関大学(先輩が今総理大臣やってます(笑)) に奇跡的に受かったときは もう人が変わったように凄かった。 誰にも喋ってなかったのに、友人の母親達から 「お母さんから話聞いたよ~凄いね~」 とか言われたり・・・ もうその時の母親の手のひら返しっぷりに呆れて かなりの期間、母親不振に陥ったほど。 「この人は、人間をそういう尺度でしか 評価できないのか・・・?」という感じ。 基本的に自分自身のことじゃないことで 躍起になってる人って、暇人なんだと思う。 (もちろん恋愛や思いやりや親切心などは除く) 何か目指すものがあったり 何かに打ち込んでる人って そんな暇ないと思うし。 自分はサッカーが好きなので 今、毎日のようにW杯観てるけど、 たしかに楽しいよ。感動たくさんもらえるし。 でも10代の頃、友達としょうもないwバンドやってたけど そのときの楽しさに比べたら W杯の楽しさなんて鼻クソ以下ですよ。 ブログやり始めた頃に書いたことなんだけど、 やっぱり「感動をもらう」側より 「感動を生む」側、さらに欲を言えば 「感動を与える」側のほうが 数千倍・数万倍楽しいに決まってるんだよね。 知人から「息子さん、凄いじゃな~い!」 なんて言われて気持ちよくなったって、 それは「感動をもらってる」だけ。 (そもそも『感動』と呼ぶことすら甚だしい) そんなものは一時的なものに過ぎないので、 これからは「感動を生む」ための何か(趣味など)に 精を出してほしい、切に願う。 ・・・しかしそんな息子の想いなど露知らず、 今日も母親は見栄を張ることに 精一杯勤しんだのでありました(´Д`|||) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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