想 水庫
こんばんは!日本の報道でも、どこまでが正しいのか?受け止め側がしっかりしないと、意識誘導させられてしまうことが余りに多いと感じています。民主国家であるからこそ、いろいろな解釈の報道があって、注意しなければいけないと想います。また、ご指摘の点かと、想いますが、公のために祖先の大地、ふるさとを手放すことを決意し、移転までしたのに、政治的な妨害で工事が中断してしまう。または、政治家のパフォーマンスに利用されてしまったダム工事もあると思います。わたしは、台湾で比較的近場に多くのダムがあったことも手伝って、ダムを見てきました。台湾におけるダムの役割も、豪雨からの人命の救助。農業用の灌漑。勿論、飲料水への利用。そのなかにも、自分の祖先の歴史を放棄して、公に捧げたものが多くありました。昨年の丁度、今日、帰国しました。悩まずに滝沢ダムの工事の進捗を自身の目で確かめに行きました。未完成でした。そして、長い時間へ思いを馳せました。有効に活きるダムの命を絶ってはいけません。そのダムのために尽くされた”こころ”のためにも。偉大なる自然の中に雄大に位置する人間の建造物でもある水庫。偉大です。その建設にこめられた多くの”こころ”も。だから、ダムを見に行ってしまうわたしなのです。